タウヒードの社会観 3:公と私 イスラーム

これに対して、イスラームの「公」と「私」の関係は、まったく異なったものである。イスラームはそもそも、個々の信徒を血の紐帯による結びつき、つまり家族や親族から引き離し、神と一対一で直接に対峙させ、その存在を神との契約関係に基づかせることを目的としたすべての信徒は、「アブドッラ-」(神の僕)なのである。

このように、「私」と結びついた血の要素を排除するイスラームが、血の紐帯を重視するアラブとはまったく異なる「公」の意識をもつことは当然である。イスラーム的な公的関係・空間を示す言葉、それがウンマである。つまり、「公」は、個々に神と契約によって結びついた信徒が形成する共同体として観念されている。* 

参考文献:
「文明化と暴力 アラブ世界」加藤博 『暴力―比較文明史的考察』  山内進・加藤博・新田一郎編(東京大学出版会、2005年)

* もちろん、現実には、このようにアラブとイスラームの「公と私」が厳密に分けられるわけではない。イスラームの教義自体にも、相続法や刑法に示されるように、アラブの文化は色濃く残っている。

■関連知識カード/章説明他:
イスラーム教徒は「神の僕」である


 

★この記事はiCardbook、『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」 Vol.3 基本概念・基礎用語編』を構成している「知識カード」の一枚です。


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