フッサールはさらに、この「個的直観」には必ず何らかの「意味」の直観、すなわち「本質直観」が伴っているという。
たとえば、今わたしには目の前のカップが「見えてしまっている」が、それはただ「見えている」だけでなく、カップという「意味」(の本質)を帯びて「見えてしまっている」。
もちろんこの「意味」は、時と場合や経験等に応じて変わってくる。乳児はこれを、飲み物の容器ではなく〝オモチャ〟という「意味」において認識することもあるだろう。
■参考文献
『現象学は〈思考の原理〉である』 竹田 青嗣 二〇〇四年
『声と現象―フッサール現象学における記号の問題への序論』 ジャック・デリダ 原著一九六七年 [編集部]
「本質はどのように獲得されるか ——自由変更による事実の乗り越えの可能性について—— 」 橋詰 史晶 『フッサール研究』第 10 号[編集部]
★この記事はiCardbook、『自由の相互承認—— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——(上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。
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