身体を持つゲームキャラクターには二種類があります。運動を生成することができるキャラクターと、データとして用意されたモーションデータを再生するキャラクターです。
前者は技術的にも難易度が高く実装されることは少なく、後者は現在のゲームキャラクターの殆どがそうであり、それに微調整として生成能力が与えられることが多くあります。※I):一方モーションデータが与えられるということは、運動を環境に応じて再生しているだけなので、環境との齟齬が多く、また不随意時間も長くなります。また知能の出口としてはとても限定された運動しか為し得ないことになります。逆にそのモーションデータを束縛条件として考慮して考える必要さえあります。意思決定が身体能力によって制限されるという逆説が起こります。
ゲームキャラクターが自ら運動を生成できる能力を持つようになれば、その自由度を駆使する知能が必要とされ、人工知能が発展する礎となります。知能と身体を切り離して考えることはできないのです。
■参考文献
『人工知能のための哲学塾』 第五夜・第四三章 人工知能に運動感覚を与える 三宅 陽一郎 二〇一六年
『物質と記憶』 アンリ=ルイ・ベルクソン 原著一八九六年
人工知能のための哲学塾 第五回 「メルロ=ポンティの知覚論」資料 三宅陽一郎 二〇一六年 P.55
★この記事はiCardbook、『<人工知能>と<人工知性>: —— 環境、身体、知能の関係から解き明かすAI—— 』を構成している「知識カード」の一枚です。
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註
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