イスラームで個の欲望と共同体の福祉を橋渡すのは何か

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私たちは「国民国家」の枠組みが大前提の世界を生きています。官僚組織による中央集権的な統治機構がそこにはあります。しかしこういう状況はここ百五十年ほどの、つまり数万年の人類史の中ではごく最近の出来事でしかありません。国家や王権が都市や農村社会の秩序を維持し、交易活動の安全を確保するうえで、それほど重要な役割を果たさなかった時期や地域もありうるし、現にあった。そのひとつの事例が西欧による植民地化が始まる前のイスラーム社会だったと言えます。

普遍性と両立する「柔軟性と変化への適応性」がイスラーム世界の版図拡大の鍵でしたが、法秩序の形成にもその特徴を見ることができます。経済において「ビジョンとプログラムの区別」が大事であったように、法においては「イスラーム法とイスラーム法体系の区別」が重要です。

 

もっと教えて!

もともと「イスラーム」という言葉は、「引き渡すこと」「委ねること」というアラビア語に端を発して、「すべてを(神に)ゆだねること」という意味をもっています。そのイスラームの社会理念と経済倫理を包括しているのがイスラーム法(シャリーア)です。ただしこれは実定法ではありません。たとえば罰則規定はありません。つまりイスラーム法(シャリーア)とは、啓示(コーラン:神の言葉)に基づく普遍的な規範群であり、宗教的ならびに現世的な生活全般に係わり、神がイスラーム教徒に守るべきことを命じた規範群で、イスラーム世界の普遍性を担保しました。

他方、イスラーム法体系とは、シャリーアを核としながらも、法域を異にするほかの規範群をそのなかに取り込んだ、イスラーム社会を秩序立てている法システムのことです。実定法として現実のイスラーム世界の住民の生活を律していたのは、イスラーム法体系でした。時代や地域による解釈(弁証法)を通じて、「柔軟性と変化への適応性」を具体化しました。

経済ビジョンを分析するための対象は主として聖法としてのイスラーム法。これに対して、経済プログラムを分析するための対象は、イスラーム法体系である、ともいえるでしょうか。


 

◎章単位の説明文:下記は『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』、その Vol.1 イスラーム経済社会の構造(理論編)の第四章と第五章内の説明を一括でまとめたものです。

第4章 イスラーム法体系

イスラームという宗教については、それが信徒の内面生活のみならず、日々の日常生活にまで規制を加えるため、イスラーム教徒は宗教にがんじがらめになって生活していると思われがちである。しかし、これは大きな誤解である。

とりわけ、イスラーム教徒に「正しい道」を示した規範群であるシャリーアが「イスラーム法」と訳されて、その信徒にとっての重要性が知られると、この誤解は増幅されることになる。この誤解を解くためには、イスラームの規範体系を理解しなければならないが、その最初のステップは、イスラーム法(シャリーア)とイスラーム法体系を区別することである。

イスラーム法(シャリーア)とは、啓示(コーラン:神の言葉)に基づく普遍的な規範群であり、宗教的ならびに現世的な生活全般に係わり、神がイスラーム教徒に守るべきことを命じた規範群のことである。

イスラーム法体系とは、シャリーアを核としながらも、法域を異にするほかの規範群をそのなかに取り込んだ、イスラーム社会を秩序立てていた法システムである。

イスラーム法とイスラーム法体系とを区別することは、なぜイスラームがかくも長くそして広範囲に影響力を持ち続けてきたかの理由、つまりイスラームの普遍性と柔軟性を理解するために必要な手続きである。

 

第1節 イスラーム法(シャリーア)

シャリーア(イスラーム法)の原義は、「水場へ至る道」である。この原義が示すように、また聖法と呼ばれるように、それは、啓示(コーラン:神の言葉)をもとに演繹的に体系化された啓示法であり、イスラーム教徒が従わねばならない普遍的な規範群である。

シャリーアはすべてのイスラーム教徒が遵守すべき規範群である。しかし、遵守しないからといって、それに対する罰則規定があるわけではない。シャリーアの不遵守を裁けるのは、神のみである。

 

第2節 イスラーム法体系

現実のイスラーム世界の住民の生活を律していたのは、イスラーム法体系であった。

それは、イスラームを理念としてイスラーム社会を秩序立てていた、次の三つの規範群からなる体系である。

1)実定法としてのシャリーア(イスラーム法)
2)カーヌーン(行政法)
3)ウルフ(慣習法)

イスラーム法体系を構成するこの三つの規範群は、法学上の定義においては、同じレベルにはない。イスラーム世界における普遍法はあくまでもシャリ-アだからである。

これに対して、カーヌーンは、シャリーアが対象としない、あるいはシャリーアを補う法体系として意識された。また、ウルフも、その一部が法解釈の手続きを通してシャリーアに取り込まれはしたものの、シャリーアの法源の一つとはみなされなかった。

イスラーム経済を分析するためには、イスラーム法とイスラーム法体系を区別し、使い分ける必要がある。経済ビジョンを分析するための対象は、主として聖法としてのイスラーム法である。これに対して、経済プログラムを分析するための対象は、イスラーム法体系である。

 

第5章 イスラームの弁証手続き

イスラーム経済は、個人の欲望の肯定(利得に対する積極的な肯定)と共同体の福祉(公共福祉への配慮)との間のダイナミックな関係を特徴とし、それゆえに、イスラームの成立から今日まで、同じイスラーム色をまといながらも、地域と時代に柔軟に対応し、多様に展開することが可能となった。

そして、それを可能にしたのは、イスラーム法体系のもとでの、法や規範の柔軟な解釈をもたらしたイスラームに特有な弁証手続きであった。その特徴は、際立って形式合理的な性格である。

 

第1節 イスラームの弁証術 ヒヤルとイジュティハード

イスラーム法体系のもとで、法は多様な解釈を可能にする精緻な弁証手続きによって運営された。

そのもっとも重要な弁証術は、ヒヤルとイジュティハードである。

 

第2節 イスラーム弁証手続きの形式合理性

イスラームの弁証手続きの特徴は、徹底した形式合理性である。

それは先に述べたように、弁証が常に神の啓示の無謬性へと収斂することを特徴とする。

この弁証法のモデルは、ハディース学である。ハディースとは、預言者ムハンマドの言行(スンナ)を活字化したもので、伝承と呼ばれ、イスラームにおけるコーランに次ぐ聖典である。

 

 


 

◎「第4章 イスラーム法体系」および「第5章 イスラームの弁証手続き」の参考文献一覧のURLです。飛び先で書籍名や、書籍の下にあるタイトルをクリックするとさらに深く、広い知識が得られ、お得ですよ。

・第四章と第五章の参考文献一覧
https://society-zero.com/icard/islum1_chap4_5_reference