赤ん坊に向かって発せられる声は、全世界共通でピッチが高く、変化の幅が広く、母音が長めに発音されて、繰りかえしが多い。絶対音感を持って生まれてくる赤ちゃんは、まず自分に浴びせられる音楽的な声を聞いて、お母さんに抱かれているように安心するのだ。
三歳ぐらいになって言葉の意味を理解するようになると、絶対音感の能力は失われて相対音感になる。音の高さで言葉の意味が変わっては困るからであるI):「音の高さの違いで意味が異なる」ことがなくなる、つまり音の高さに意味が規定されない、意味が変わらない、とはこういうことだ。たとえば音叉をたたくと「ドレミ」の「ラ」の音が出る。この音を自分で声に出してみる。「らー」。その後、その一オクターブ下の「ラ」を出してみる。「らー」。このとき私たちは、最初の「らー」と次の「らー」が違うことを認識しつつ、同じ「ラ」とわかっている。相対音感のゆえだ。だがこの相対音感と絶対音感の違いがヒトの「社会的知性」の進化に決定的なことであった可能性がある。
つまり、違うと認識しつつ、同時に同じ、とも認識しうる。これがヒトの「抽象化」能力だ。ヒトの脳の「抽象化」能力こそ、ヒトの「認知革命(認知的流動性の獲得)」「コミュニケーション革命」の基点となっていくのである。[編集部]。おそらく子守唄が人間の音楽の能力を高めたのではないだろうか。
『人間の音楽性』 ジョン・ブラッキング 徳丸吉彦訳(岩波現代選書、一九七八年)原著一九七三年
『音楽する脳』 ウィリアム・ベンゾン 西田美緒子訳(角川書店、二〇〇五年)原著二〇〇一年
『歌うネアンデルタール——音楽と言語から見るヒトの進化』 スティーヴン・ミズン 熊谷淳子訳(早川書房、二〇〇六年)原著二〇〇五年
★この記事はiCardbook、『人類の社会性の進化(Evolution of the Human Sociality)(下)共感社会と家族の過去、現在、未来』を構成している「知識カード」の一枚です。
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註
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