「不幸」「不自由」には、そもそも「欲望」(やりたいこと)が分からないという類いのものもある。
「これをやりたい」「これを叶えたい」という〝欲望の中心点〟ができて初めて、わたしたちには、それを「なしうる」可能性、すなわち「自由」の感度が芽生える可能性が現れるのだ。
■参考文献
『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』 第五章・第一節 欲望 苫野 一徳 二〇一四年
【対談】竹田青嗣×苫野一徳⑦〜「やりたいこと」の見つけ方〜[編集部]
★この記事はiCardbook、『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (下)未来構築の実践理論』を構成している「知識カード」の一枚です。
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