このフッサールの洞察を、さらに展開したのがハイデッガーだ。
彼は、あらゆる存在物が「現存在の存在に相関的」に立ち現れることを丹念に論じているが、ここでいう現存在(=人間)の存在は、端的に「気遣い」「関心」として示される。※I):『存在と時間』 第六章・第四十四節 現存在、開示態および真理性 (ちくま学芸文庫、一九九四年)
つまりハイデッガーは、わたしたちの認識は、常にわたしたち自身の「気遣い=関心」に相関的であるというのだ。
■参考文献
『存在と時間』 マルティン・ハイデッガー 原著一九二七年※II):人間存在の歴史的構造を分析した書。在るということを漠然とながら理解している存在者という意味で、人間を現存在と呼ぶ。人間存在はまず「関心」へ、ついで時間性という動的構造へ還元される、とする。書物の構想として、時間性から存在の諸形態を論じた後、その成果に基づいて西洋哲学史を批判的に検証する予定であったが、この後半部分は未完に終わった。[編集部]
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註
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II. | 戻る | :人間存在の歴史的構造を分析した書。在るということを漠然とながら理解している存在者という意味で、人間を現存在と呼ぶ。人間存在はまず「関心」へ、ついで時間性という動的構造へ還元される、とする。書物の構想として、時間性から存在の諸形態を論じた後、その成果に基づいて西洋哲学史を批判的に検証する予定であったが、この後半部分は未完に終わった。[編集部] |