絶望の淵にあってさえ、人は欲望の網目に〝フック〟をかけ、世界に〝意味〟を見出す(作り出す)ことができる。
そのことをかつてだれよりも奥深く語ったのは、ナチスのユダヤ人強制収容所に送られてなお、ささやかな〝フック〟を頼りに希望を失うことのなかったフランクルである。※I):収容所に送られてしばらく経ったある日、フランクルはある種の奇跡的な体験をする。彼は言う。「とうてい信じられない光景だろうが、わたしたちは、アウシュヴィッツからバイエルン地方にある収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのに——あるいはだからこそ——何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。」「わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」(『夜と霧』(みすず書房、二〇〇二年))
■参考文献
『夜と霧─ドイツ強制収容所の体験記』 ヴィクトール・エミール・フランクル 原著一九四六年
映画『ライフ・イズ・ビューティフル』 - Wikipedia [編集部]
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註
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