長期間の思考という実験による身体性への気づき

デカルトに倣って、物質なしに精神が働くことができるかを考えてみよう。ある一瞬においては、物質なしに精神が機能するかのように考えることはできるだろう。

しかし、何時間も考え続けると、その思考には身体からの制約が必ず働くこととなるため、食事、休憩、睡眠、排泄はいせつなど、身体の機能を維持するための営みを行わなければならない。

したがって、「ある一瞬」ではなく、「長い時間にわたって考える」ときには、身体とその外部の存在を認識する場面が必ず入ってくることになろう。この認識が不可避的に入ることを手がかりに、身体や外部の存在を証明する議論を構築できるのではないか。

■参考文献
『環境と経済を再考する』 第一章・第五節 エコロジカル経済学につながる思想の方向性 倉阪 秀史 二〇〇六年


★この記事はiCardbook、『なぜ経済学は経済を救えないのか(上)視座と理念の転換』を構成している「知識カード」の一枚です。

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