タウヒードの社会観 2:宗教権威と政治権力

日本人の多くは、アラブとイスラームの区別がつかない。しかし、イスラームを知るためには、この二つを区別する必要がある。誤解の最たるものが、「公」と「私」の関係である。

アラブ世界の住民は、「私」を、血の紐帯(アサビーヤ)と結びつけ観念している。具体的には、家族や親族と関連づけられた関係・空間である。そして、そこでの血とは、擬制的なものを含まぬ、生物学的な血、それも父方の血である。* 「公」は、この「私」の拡大した関係・空間として意識された。

 

参考文献:
「文明化と暴力 アラブ世界」加藤博 『暴力―比較文明史的考察』  山内進・加藤博・新田一郎編(東京大学出版会、2005年)

 

* 事実、彼らには家族の一員として養子をとるという感覚は希薄である。もっとも、アラブ世界の住民に擬制的な家族感覚がないわけではない。それは、歴史的には、結婚を介した姻族関係と奴隷制度のなかにみられる。後者は、人身支配の関係というよりは、ヒマーヤ(「保護」の意味)というアラビア語で表現されるパトロン・クライアント関係、つまり保護・被保護のパーソナルな人間関係である。アラブ住民における「公」の観念は、この擬制的な家族感覚の枠組みの中で形成されていた。


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