身体のイマージュ

人間はさまざまなものにイマージュを持ちます。それは最も単純な意味の想起ということです。

身体のイマージュとは我々の意識が身体に対して持つイマージュです。しかし、これはあらゆるイマージュの中でも、特別なものだとベルクソンは説きます。それは身体のイマージュだけが唯一、我々が内側から体験できるイマージュだからです。この視点は、現象学のメルロ=ポンティに受け継がれて行きます。

■参考文献
物質と記憶』  アンリ=ルイ・ベルクソン 原著一八九六年※

※註::本書のキーワードである、イマージュ。ベルクソンはこれを次のように言う。

「ここでイマージュというのは、私が感覚を開けば知覚され、閉じれば知覚されなくなるような、最も漠然とした意味でのイマージュのことである。」
「イマージュとは、客観的実在物のことではない。かといって、主観によって勝手に思い浮かべられた表象でもない。それは、いわば両者の中間にあるものとしての概念だ。」</p>
「このイマージュの中で、他のイマージュとは全く異なった独特の様態をもったものがある。

身体である。

身体もまた、私たちによって知覚されるイマージュである。しかし同時に、私たちはこの身体を通して他のイマージュを知覚する。
ということは、私たちは、常にこの身体に相関的に、あるいは身体の能力の制限の内に、諸イマージュを知覚しているということになる。」

出典:苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説): ベルクソン『物質と記憶』 )[編集部]
★この記事はiCardbook、『<人工知能>と<人工知性>: —— 環境、身体、知能の関係から解き明かすAI—— 』を構成している「知識カード」の一枚です。

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