環境問題を外部不経済とする考え方の誕生

私的純限界生産物と社会的純限界生産物が乖離するケースとして、ピグーは、次の三つを掲げた。

第一に、小作人による土地改良のように、耐久財の借用者の努力が耐久財の所有者に及ぶケースである。

第二に、ある経済主体がサービスを提供する過程で、第三者に付随的なサービスを与え、もしくは、損害を与え、このサービスや損害について支払いや補償がなされないケースである。

第三に、ある商品を生産する際に追加的に資源を投下した効果が、同じ商品を生産する他の者に及ぶケースである。

そして、このうちの第二のケース(※I):ピグーの『厚生経済学』(東洋経済新報社、一九五四年)では、第三者に用役を与える場合としては、個人の庭園を整備することにより周囲の雰囲気がよくなる場合、道路や鉄道ができることにより地価が騰貴する場合、植林により気候が改善する場合などが挙げられており、第三者に損害を与える場合としては、住宅地域に工場を建てて周辺の快適さを損なう場合、近隣の日照を阻害する形で土地を使用する場合、道路面をすり減らす自動車を走行させる場合、アルコールを生産する場合(警官と刑務所の費用が増加)などが挙げられている。)が、現在の新古典派経済学の教科書に掲載されている「外部性」の発祥である。

■参考文献
『厚生経済学』  アーサー・セシル・ピグー 原著一九二〇年
新古典派経済学 その4[編集部]

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I. :ピグーの『厚生経済学』(東洋経済新報社、一九五四年)では、第三者に用役を与える場合としては、個人の庭園を整備することにより周囲の雰囲気がよくなる場合、道路や鉄道ができることにより地価が騰貴する場合、植林により気候が改善する場合などが挙げられており、第三者に損害を与える場合としては、住宅地域に工場を建てて周辺の快適さを損なう場合、近隣の日照を阻害する形で土地を使用する場合、道路面をすり減らす自動車を走行させる場合、アルコールを生産する場合(警官と刑務所の費用が増加)などが挙げられている。