人工知能の足場としての哲学

人工知能を作るためには哲学が必要です。

もちろん知能的アプリケーションを作るまででしたら、そこまで必要ではありませんが、知能そのものを作り出そうという最大射程の時には、知能とは何か、存在するとはどういうことか、生きるということはどういうことか、という哲学が必要です。

なぜなら、「人工知能を作る」とは、生き物を作ろうとすることでもあるからです。※I):デカルトの哲学に従えば、人工知能を作ることは時計仕掛けのような装置を作ることです。デカルトがそう言ったわけではなく、デカルトの後継者たちの合理主義、機械主義がそうさせます。しかし、それでは内側からこの世界を生きる人工知能を作ることにはなりません。そこで内側からこの世界を生きる、さらに身体を内側から生きる人工知能を作るために必要な、哲学を求める必要が出てくるのです。


■参考文献
ゲーム、人工知能、環世界 考える存在から経験の総体へ、AIのための現象学的転回」」 三宅 陽一郎 『現代思想』 2015年12月号 特集=人工知能 青土社 二〇一五年

★この記事はiCardbook、『<人工知能>と<人工知性>: —— 環境、身体、知能の関係から解き明かすAI—— 』を構成している「知識カード」の一枚です。

人工知能と人工知性
人工知能と人工知性

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I. :デカルトの哲学に従えば、人工知能を作ることは時計仕掛けのような装置を作ることです。デカルトがそう言ったわけではなく、デカルトの後継者たちの合理主義、機械主義がそうさせます。しかし、それでは内側からこの世界を生きる人工知能を作ることにはなりません。そこで内側からこの世界を生きる、さらに身体を内側から生きる人工知能を作るために必要な、哲学を求める必要が出てくるのです。