ただしフッサールによれば、だれもが納得できるはずの、懐疑不可能な〝思考の始発点〟がある。
それが「超越論的主観性」である。※I):ここで「超越」は懐疑可能なことの総称。「超越」を「論的」に問う、つまり懐疑可能なことを懐疑可能と自覚しつつ、その成り立ちを主題的に問う主観を「超越論的主観性」と呼ぶ。
■参考文献
『イデーン Ⅰ-Ⅰ』 エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール 原著一九一三年
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール 原著一九三六年
『現象学は〈思考の原理〉である』
二〇〇四年
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