水中では生きられないわたしたちの「身体性」や、しかしなおそれを乗り越えて渡っていきたいといった「欲望」「関心」があるからこそ、わたしたちは目の前に広がる空間を〝海〟という言葉で切り取ることができる。
他方、動物や昆虫は、おそらく〝海〟を一まとまりの存在者としては見ていない(そのように見ることができない)。深海の魚にとって、それはおそらく、切り取れるような空間ではなく世界のすべてであるだろう。I):「われわれはともすれば、人間以外の主体とその環世界の事物との関係が、われわれ人間と人間世界の事物とを結びつけている関係と同じ空間、同じ時間に生じるという幻想にとらわれがちである。この幻想は、世界は一つしかなく、そこにあらゆる生物がつめこまれている、という信念によって培われている。」(『生物から見た世界』 第一章 環世界の諸空間 (岩波文庫、二〇〇五年))
■参考文献
『生物から見た世界』 ヤーコプ・フォン・ユクスキュル 原著一九三四年
「ユクスキュルから見た世界」 加藤 正人[編集部]
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