もうひとつの市場経済の道

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自著解題:『イスラーム世界の社会秩序』(一橋大学名誉教授 加藤博)(4)

1.関係性と社会秩序
2.iCardbookスタイルでの出版
3.著作『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』
4.もうひとつの市場経済の道
5.イスラーム経済における市場と公正
6.関係性のなかのイスラーム経済

(本稿は加藤博氏が自著の「解題」を信州イスラーム世界勉強会HP へ寄稿したもの。執筆者の加藤博氏と勉強会主催者の板垣雄三氏のご了解のもと転載しています。)

 


もうひとつの市場経済の道

第一巻の冒頭のエピグラムは、経済学者シュンペーターの言葉です。

資本主義は、その経済的失敗のゆえに崩壊するのではない。反対に、経済的成功のゆえに没落する。それは資本主義文明の衰退というものなのである。(J.A.シュンペーター)

シュンペーターは、イノベーション(創造的破壊、技術革新)をキーワードに、なぜ経済は漸進的にではなく、ある時点で飛躍的に成長するのかという動態的(歴史的)な経済の成長を分析した経済学者です。この言葉の意味するところは、人類の歴史において勝ち残った経済システムは市場経済(交換経済)であり、資本主義はその延長で形成された以上、資本主義には生き残るだけの理由がある。その資本主義を完全否定するならば、唯一勝ち残った市場経済をも否定することになる。それは、諺にあるように、「角を矯めて牛を殺す」ことである。

しかし、シュンペーターは資本主義の将来に悲観的であり、「衰退」は不可避であるという。そして、その理由は、資本主義が間違っているからではなく、従来の資本主義の論理を突き詰めていくと、必然的にそうならざるを得ないからだという。それでは、「衰退」が不可避なのはなぜなのか。それは、従来の資本主義体制では、自らが生み出す深刻な危機に対処することができないからである。つまり、問題なのは、資本主義を成り立たせている市場経済ではなく、「従来の」資本主義を支えてきた社会経済の制度であり環境である。この社会経済の制度と環境をシュンペーターは「文明」と呼び、その限界から、資本主義「文明」は衰退すると予言したわけです。以下、このシュンペーターに倣い、市場経済を支える社会経済の制度と環境を「文明」と呼びましょう。

本の副題は「もうひとつの「市場と公正」」ですが、私がこの副題にみられる「もうひとつの」という言葉を好ましいと思うのは、こうしたシュンペーターの資本主義の見方に共感するからです。つまり、「もうひとつの」という言葉によって、市場経済の発展が人類の生活向上に寄与したという歴史を踏まえたうえで、「従来の」資本主義の発展径路とは異なる、「別の」市場経済の発展径路の可能性が示唆されていると思われたのです。そして、それは、「従来の」資本主義とは異なる「文明」をもつ市場経済でしょうが、イスラーム経済はこの「もうひとつの」市場経済の道を指示しているのではないか、と考えているのです。

少し、敷衍してみましょう。イスラーム経済は、その本来の交換経済という意味において、市場経済でした。イスラーム経済は、人間の「欲望」を前提にして成り立っています。金を稼ぐことは、積極的に肯定されています。人間の「欲望」を前提にして経済体系が成立っているという点では、近代資本主義とイスラーム経済は同じです。

しかし、「欲望」を肯定する根拠が全く異なっています。近代資本主義での「欲望」は、人間の本性に基づいています。近代経済学の創始者とされるアダム・スミスは、それを交換性向、つまり「あるものを(自分の利益のために)他のものと取引し、交易し、交換する性向」と呼びました。

これに対してイスラーム経済の「欲望」は、至上の神(アッラー)の意志に根拠を持っています。人間は邪悪な欲望も持っている。しかし、それも人間を含む森羅万象の創造主である神が創ったものです。被造物である人間が良い欲望か悪い欲望かを判断することは、創造主である神の至上性を貶めることになります。地上のすべてにおいて、良いか悪いかの区別をつけうるのは神のみだからです。したがって、すべての人間の欲望は肯定され、金銭に対する欲望も、その一つだということになります。

一見すると、この「欲望」に対する資本主義とイスラーム経済の根拠づけの違いは、些末なことのように見えます。結果的には、両者とも、人間の「欲望」を肯定しているのですから。しかし、この違いは、資本主義とイスラーム経済における世界観の根源的な違いに基づいています。

資本主義の世界観は、近代西欧の知の枠組みに基づいた、人間中心の世界観です。そこでは、世界は、神の聖なる世界と人間の俗なる世界の二つから成り立っています。経済、そして「欲望」は指摘するまでもなく、俗なる世界に含まれます。それゆえに、宗教と経済は水と油の関係にあり、「欲望」は人間の本性として説明されざるをえません。

これに対して、イスラーム経済の世界観は、イスラームの知の枠組みに基づいた、神中心の世界観です。そこでは、神の聖なる世界と人間の俗なる世界を分けること自体が、神への冒涜として否定されます。そのゆえに、宗教と経済は渾然一体とした不即不離の関係にあり、「欲望」は神の意志として説明されることになります。

そして、この違いは、次に指摘するように、資本主義とイスラーム経済を取り囲む「文明」において、決定的な違いをもたらしました。


 

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1.関係性と社会秩序
2.iCardbookスタイルでの出版
3.著作『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』
4.もうひとつの市場経済の道
5.イスラーム経済における市場と公正
6.関係性のなかのイスラーム経済