もしも「西欧近代」が普遍的モデルでないとしたら

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「近代市民社会は日本でもまだ定着したとは言えず、中東諸国や中国にいたっては基本的人権がなお根付かず遅れをとっている」といった言い方がされることがあります。ところが最近のアカデミズの研究成果からは、法治主義、議会制民主主義、資本主義を構成要素とする「近代」モデルは、16、17世紀の西欧の課題を解決するために生まれた、「社会統治と公共福祉」のモデルのひとつに過ぎない、といった見方が常識になりつつあります。

 

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脱西洋史観。これがいまのアカデミズの新常識です。西欧こそが人類史の先端を走ってきたと考える「西洋の先進性」、他の地域、諸国は西欧がたどった道筋を必ず追うとする「西洋史の普遍性」、どちらにも疑問符がついてきた、ということです。西欧型公共圏の成立になぜ法の支配や普遍的人権概念、議会制民主主義がなければならなかったのか、がむしろ研究課題となっています。資本主義なき市場社会、国家なき自由市民社会、議会制なき民主主義が徳治主義(中国では儒教、中東諸国ではイスラーム)の後ろ盾をもとに、「社会統治と公共福祉」のモデル、別バージョンをすでに形成していたではないか。中国では遅くとも17世紀には、中東にいたっては7世紀に、というわけです。

『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』はその「第6章 イスラーム経済と近代経済学」が、所有権構造、労働観、経済と不確実性の3つの視点からイスラーム型「社会統治と公共福祉」モデルについて、また「第8章 イブン・ハルドゥーンとアダム・スミス」は、今日の資本主義的な市場社会の偏向とその対応策を、アダム・スミスに先立つこと四百年も前に先取り、思索していた人物がいたことを明らかにします。


 

◎章単位の説明文:下記は『イスラーム世界の社会秩序 もうひとつの「市場と公正」』、その Vol.1 イスラーム経済社会の構造(理論編)の第六章と第八章内の説明を一括でまとめたものです。

第6章 イスラーム経済と近代経済学

イスラーム経済の基本構造を、近代経済学との比較から整理してみよう。イスラーム経済の理解にとって、必ずしも近代経済学との比較が必要であるとは考えないが、日本人の頭脳が近代西欧の知のあり方に染まっている以上、近代経済学の言語で解説することは、イスラーム経済の理解への一つの道だと信じるからである。

イスラーム経済はその前提から、近代経済学と異なる、次の二つの特徴を持っている。

一つは、近代経済学が人、つまり「経済人」から出発するのに対して、イスラーム経済は「神」から出発することである。

もう一つは、近代経済学があくまでも「経済人」の行動から演繹された知の体系であるのに対して、イスラーム経済の場合、イスラームの経済ビジョンに裏づけられた個人の行動は、信徒共同体でもあり神の共同体でもあるウンマ(信徒共同体)と結びつけられているということである。

 

第1節 イスラームの所有権構造

近代西欧ではものの所有は、基本的には個人に帰属する。これに対して、すべての創造主である神を前提するイスラームにあっては、森羅万象すべての所有は、究極的には神に所属する。

イスラーム経済の根底にある考え方は、この所有権のあり方に端的に表れている。議論の焦点は、「所有」と「用益」との関係である。

周知のように、西欧近代法では、所有権は人の物に対する排他的な支配権であり、物を使い、享受する権利である用益権は、所有権の下位概念である。

ところが、イスラーム法の所有権概念における所有と用益との関係は、これとは異なり、神による森羅万象の究極的な所有を前提とするところから、物を観念的にラカバ(またはアイン)とマンファアに分け、その各々に対して所有権が成立すると考える。

そこから、西欧近代法とは異なる、イスラーム法での「所有」と「用益」の関係が生まれる。

 

第2節 所有・所得の源泉としての労働

イスラームの所有観と表裏の関係にあるにが、イスラームにおける労働観である。

西欧近代法でのように、人が物に対して排他的な支配権、つまり所有権を持つ限り、物が利益を生み出す源泉は、物を所有すること自体である。

しかし、物の究極的な所有者を神と前提するイスラーム法では、物を所有すること自体が、利益を生み出す源泉でありえない。

そこから、物の所有、さらにはそこからの所得の源泉を、人が物に対して付加した労働にみるイスラームの労働観が生まれる。

 

第3節 イスラーム経済と不確実性

利子と訳されるリバーをどう解釈するかは、イスラーム経済を評価する際の、決定的なリトマス試験紙となる。イスラーム世界では、歴史的にも今日的にも、理論的には禁止あるいは忌避されるものの、リバーは現実的には取得されている。このことをどう解釈するか。本節では、この問いを、将来の不確実性とのかかわりから考えてみる。

 

第8章 イブン・ハルドゥーンとアダム・スミス

イブン・ハルドゥー(1332~1406年)ンとアダム・スミス(1723~1790年)が生きた時代は、4世紀もの開きがある。さらに、アダム・スミスは近代経済学の祖である。ところが、この二人の思想家の経済理論は、おどろくほど似ている。

しかし、だからと言って、イブン・ハルドゥーンをアダム・スミスの先行者だとも、14世紀後半のイスラーム世界が4世紀後の西欧と同じ経済レベルにあった、とも主張するつもりはない。

しかし、社会科学の場合、いかに時代を超えた才能、つまり天才であっても、分析の対象である現実の社会あってこその研究である。つまり、イブン・ハルドゥーンであれアダム・スミスであれ、彼らの理論には、彼らがそのなかに生きた社会経済が反映しているはずである。

この意味において、少々乱暴ではあるが、14世紀後半のイスラーム社会と18世紀後半のイギリス社会の経済とは似た性格を持っていたと述べても、荒唐無稽ではないであろう。

実際、イブン・ハルドゥーンの経済論は、どのような文献にも増して、イスラーム経済の特徴を雄弁に語っている。

 

第1節 イブン・ハルドゥーンの文明論

イブン・ハルドゥ-ンは1332年、北アフリカのチュニスで生まれた。彼が生まれた14世紀のイスラーム世界は、版図こそ広かったが、その内部は、トルコ人、十字軍、モンゴル人による外からの脅威のなかで、地方政権の乱立する分裂状態にあった。

このような時代に生を受けたイブン・ハルドゥ-ンは、イスラーム諸学の研鑽に努める一方、政治にも野心をもち、北アフリカ、イベリア半島の諸王朝のスルタンたちに仕え、波瀾万丈の青年期、壮年期を送った。

しかし、政治生活に挫折し、1375年、齢43にて隠遁生活に入り、膨大な『歴史序説』(al-Muqaddima)と世界史にあたる『イバルの書』(Kitab al-'ibar)の執筆に専念した。イブン・ハルドゥーンの経済論は、『歴史序説』のなかで展開されている。

 

第2節 イブン・ハルドゥーンの経済論

イブン・ハルドゥーンは自覚的に経済論を展開したわけではない。先に繰り返し指摘したように、イスラームの知のあり方は一元(タウヒード)的であり、近代西欧のように、経済がほかの知の領域から切り離されて論じられているわけではない。

それでも、イブン・ハルドゥーンの思索から、近代経済学が対象とする経済に関する理論を取り出すことができる。

 


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・第六章と第八章の参考文献一覧
https://society-zero.com/icard/islum1_chap6_8_reference