このコジェーヴの指摘を受けて、フランシス・フクヤマは後に、ソ連崩壊を経た後のリベラル民主主義の普遍化をもって、「歴史の終わり」が来たと宣言することになる。I):「リベラルな民主主義だけが、世界のこのような地域〔旧共産主義国〕でも広く正統性を享受できる唯一の首尾一貫したイデオロギーなのである。この地域にいま暮らす人々の生きているあいだは、民主主義への移行は無理だとしても、次の世代にはそれが実現できるかもしれない。西欧におけるリベラルな民主主義への移行は長くつらい道のりではあったが、それでも最後にはどの国も民主主義への旅をまっとうすることができたのである。」(『歴史の終わり(下)』 第一部・三 あまりにも貧しすぎた「超大国」 (三笠書房、一九九二年)
■参考文献
『歴史の終わり〈上〉歴史の「終点」に立つ最後の人間』 フランシス・フクヤマ 原著一九九二年
この記事はiCardbook、『自由の相互承認—— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——(上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。
◎iCardbookの商品ラインナップはこちらをクリック
この記事を読んだ人は、こんな記事も読んでいます
註
I. | 戻る | :「リベラルな民主主義だけが、世界のこのような地域〔旧共産主義国〕でも広く正統性を享受できる唯一の首尾一貫したイデオロギーなのである。この地域にいま暮らす人々の生きているあいだは、民主主義への移行は無理だとしても、次の世代にはそれが実現できるかもしれない。西欧におけるリベラルな民主主義への移行は長くつらい道のりではあったが、それでも最後にはどの国も民主主義への旅をまっとうすることができたのである。」(『歴史の終わり(下)』 第一部・三 あまりにも貧しすぎた「超大国」 (三笠書房、一九九二年) |