サンデルのロールズ批判

ロールズは、(彼が考えるところの)道徳的恣意性を排除するため、諸個人を「無知のヴェール」に覆われた存在として考えるべきだと訴えた。

それに対してサンデルは、事実的に言って、そうした「負荷なき自己」——文化的状況に規定されていない自己——などあり得ないとロールズを批判する。※I):サンデルは次のように言う。「より徹底した反省を可能とするためには、われわれは、前もって個体化され、自らの目的に優先して与えられた、まったく負荷なき所有の主体ではありえず、自らの中心的な大望や愛着によって一部が構成され、自己理解が修正されるに従って、発展し、変容していくことに開かれ、実際に影響を受ける主体でなければならない。しかも、そうなるためには、自らの構成的な自己理解には、単独の個人よりも広い主体が、つまり、構成的な意味でのコミュニティが定義される程度において、家族・部族・都市・階級・国家・国民であれ、そのようなものが含まれている。」(『リベラリズムと正義の限界』 第四章・第七節 正義に関する道徳的認識論 (勁草書房、二〇〇九年))

■参考文献
『リベラリズムと正義の限界[原著第二版]』  マイケル・サンデル 原著一九八八年


★この記事はiCardbook、『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。
  

 

   [ + ]

I. :サンデルは次のように言う。「より徹底した反省を可能とするためには、われわれは、前もって個体化され、自らの目的に優先して与えられた、まったく負荷なき所有の主体ではありえず、自らの中心的な大望や愛着によって一部が構成され、自己理解が修正されるに従って、発展し、変容していくことに開かれ、実際に影響を受ける主体でなければならない。しかも、そうなるためには、自らの構成的な自己理解には、単独の個人よりも広い主体が、つまり、構成的な意味でのコミュニティが定義される程度において、家族・部族・都市・階級・国家・国民であれ、そのようなものが含まれている。」(『リベラリズムと正義の限界』 第四章・第七節 正義に関する道徳的認識論 (勁草書房、二〇〇九年))