書評|『Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章』

empathy(共感)からcompassion(行動を伴う思いやり|倫理)へ
ルトガー・ブレグマンの『Humankind 希望の歴史』は、『ファクトフルネス』、『サピエンス全史』に続く合理的楽観主義の大作◎

 

『Humankind 希望の歴史』とは

ピケティがクズネッツを修正したように、ブレグマンはホッブズをたしなめる。

『Humankind 希望の歴史』は、2013年にフランス語で公刊され、2014年に英語版、日本語版が出たフランスの経済学者であるトマ・ピケティの著書、『21世紀の資本』と似た構図の専門書。


『21世紀の資本』を一言でいうと | ちえのたね|詩想舎 https://society-zero.com/chienotane/archives/5314


つまり、世間でよく知られているセオリーについて、元々の典拠に立ち返って、裏付けとなる事実、データを洗い直すと、別の結論が出て来ることが示される。その過程がまるで推理小説を読むようでスリリングなのだ。ある程度の辛抱強さは求められるが、知的痛快を楽しめる本。専門書であるにもかかわらず一般書のビジネス書並に売れるだろう点も含め二つの本は相似形だ。

違いはピケティが経済書なのに対し、本書は社会学領域をカバーしている点。

クズネッツは「経済成長に伴い所得格差が減少する」という特徴を発見したのだが、その後それはマスコミに「トリクルダウン」という用語で社会に広められていった。これに対し、ピケティは人類史の中で、経済成長率は資産収益率を上回ったことがないことを証明してみせ、クズネッツを修正しようとした。そのうえで「税は社会正義のために使え(成長のために使うな)」と主張した。

他方、『リヴァイアサン』の著者、ホッブズは人間が自然権を持つと考えたが、同時に利己的であるとも想定した。それゆえに「万人に対する万人の闘争」が生じるとし、人間社会を安定したものにしようとするなら、社会契約による国家権力の創出が不可避と唱えた。その後西欧近代出自の諸制度は、この「利己的な個人」の概念の上に構築されてきた。人は損得勘定で動くホモエコノミクス(アダム・スミス)だという理念の上に資本主義は運営され、ダーウィンは弱肉強食の自然淘汰が進化の原理だと言った。極めつけはドーキンスが書いた本のタイトルで、『利己的な遺伝子』。

しかしここ20年ほどの社会科学の成果物は、この前世紀の暗い人間観をひっくり返すものばかりだと訴えるのが、ルトガー・ブレグマン。

「人間は利己的だ」とする諸説をひとつひとつ(例:スタンフォードの囚人実験/ミルグラムの電気ショック実験/イースター島が人間のエゴで自滅したというジャレド・ダイアモンドの説他)、その元データにたちかえって精査、論破していく。

いろいろな分野の教科書は実はすでに書き換えられている。人々が知らないだけだ。いずれも「人間は周りの人間に信じてもらえれば利他的に動く」ということを示唆していると強調し、出発点に「利他的な人間像」を据えるという選択、意思決定をしたうえで、我々の社会、資本主義、教育システム、司法制度などを再設計すれば、世界はもっと住みやすくなる、と主張する。

ブレグマンは前作『隷属なき道』でベーシックインカム制度の必要性・有効性を説いた。その提言を冷笑する(例:「お金を配ることによって、働かない人が現れるのではないか」)人々へ、「我々の本質は優しくて思いやりがあり助けあうもの(Our true nature is to be kind, caring and cooperative)」という人間観を選択すればその懸念は消える、とでも言いたそうだ。

 

選択し、意思することがこの先の人間社会を分ける

念のため付記しておこう、うぶな人間賛歌を歌い上げた本では決してない、と。「選びとる」ことなしに何も変わらない。つまり人間がnatureとして利他的だと感得するだけでは足りない。社会の制度設計をやりなおす、それも(ホッブズのではなく)人間の善性を信じたジャン・ジャック・ルソーの人間観に基づいて社会を作り直すことが、換言すればルソーの人間観を選択する、そう意思することがこの先の人間社会を分けるのだ。

「これは、過去20年ほどにわたって、人類学()、考古学、社会学、心理学などさまざまな学問分野において、静かに起きている科学的進歩についての話だ。人類の本質に対する見方は、冷笑的なものから希望的なものへと変化している。人類は天使ではないが、大多数は本質的にまともで優しい。」

「(ただし)本書は人間の美徳について説くものではない。明らかに、人間は天使ではない。人間は複雑な生き物で、良い面もあれば、良くない面もある。問題はどちらを選択するかだ(強調筆者)」。

「実際のところわたしたちが、大半の人は親切で寛大だと考えるようになれば、全てが変わるはずだ。そうなれば、学校、刑務所、ビジネス、民主主義の構造を全面的に考え直すことができる。そして、人生をどう生きるか、ということも(強調筆者)。」

ブレグマンは夢想家ではなく、リアリストだ。

このポイントはたとえば、下巻エピローグの「人生の指針とすべき10のルール」のひとつにもその一端がうかがえる。

NO. 4: TEMPER YOUR EMPATHY, TRAIN YOUR COMPASSION

NO. 4: empathy(共感)よりむしろcompassion(行動を伴う思いやり)を涵養しよう

ちなみに「10のルール」の七番目は「ニュースは避けよ」だ(NO. 7: AVOID THE NEWS)。「人間は利己的だ」の論拠だとして知られている事例(例:スタンフォードの囚人実験/ミルグラムの電気ショック実験/イースター島が人間のエゴで自滅したというジャレド・ダイアモンドの説他)が世の中に根深く定着しているのは、ニュースをはじめとするマスメディアの力が大きいからだ。

テレビも雑誌も新聞も、標準的な世相を切り出していてはメディアとして成立しない。勢い「ニュースになるのは例外的な出来事ばかり」。ニュースはネガティブに歪んでいて、まるで私たちに良いことは何も起こらないと思わせたがっているようだ。

そこでブレグマンは歴史研究、著述活動だけでなく、広告を排除したスロージャーナリズムメディアである「デ・コレスポンデント」の創立メンバーともなっていた。

 

ルトガー・ブレグマンとは

1988年生まれの歴史学者にして、「ピケティに次ぐ欧州の知性」とも呼ばれている人物。2019年のダボス会議に招聘。参加者たちが「正義」や「平等」を語る一方、誰も「税金逃れ」の問題に触れようとしないことを痛烈に批判し、世界的に注目を浴びた。

ユトレヒト大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で歴史学を専攻。これまでに歴史、哲学、経済に関する4冊の著書を出版したがそのうち『進歩の歴史(History of Progress)』は、2013年の最高のノンフィクション作品としてベルギーで表彰された。2014年には『隷属なき道』を「デ・コレスポンデント」から出版するとオランダ国内でベストセラーに。そこで2016年にAmazonの自費出版サービス(CreateSpace)を通して英語版を出版したところ、出版エージェントの目に留まり、日本を含めて20カ国での出版が決まった。

「ファストフードのようなニュースが多すぎる」「それだけを食べ続けていたら病気になってしまう」といって「デ・コレスポンデント」は創設された。

コレスポンデントとは「特派員」という意味。「事件」を見る代わりに「構造」を見よう。スピーディーで消費的なメディアではなく、寄稿者が特定のテーマを掘り下げていく「スロー・ジャーナリズム」を標榜、実践している。

しかしコロナ禍で軌道修正を余儀なくされた。クラウドファンディングの資金で立ち上げられた英語版用のチームの活動が財政上維持できなくなったのだ。コロナ禍の混乱は人々の関心と収入の両方に影響を与え、英語版の購読者数は立ち上げ時の5万人から2020年末頃には2万人に減っていた。

「新型コロナウイルス感染症がノンストップで報道され続ける中、140カ国にいる会員たちに「速報ではないニュース(unbreaking news※)」を提供することが難しくなった。人々がメディアで知りたいと思うのは、「子供が通う学校が明日、閉鎖されるかどうか、いつワクチンを受けられるのか」といったことだ。
※「事件」を見るよりも「構造」を見る、スロージャーナリズムの眼目となるようなニュース

こういう情報は欠かせないものだが、コレスポンデントを立ち上げたのは、このような情報を提供するためではなかった。私たちは、むしろ国境を越えたイッシューに重きを置いてきた。」
・The Correspondent will stop publishing on 1 January 2021. We’d like to thank our members for their support - The Correspondent https://thecorrespondent.com/834/the-correspondent-will-stop-publishing-on-1-january-2021-wed-like-to-thank-our-members-for-their-support/12825252-8c4236ca

選択し、意思することがこの先の人間社会を分けることになる、そのことを象徴するような出来事だと思われる。

empathy(共感)からcompassion(行動を伴う思いやり|倫理)へ。


※本書には「人類学」「霊長類学」の成果物がさかんに援用される。ただ記述が飛び飛びにあらわれやや繁雑だ。むしろ「山極寿一・本郷峻のiCardbook」に当たる方が早いかもしれない。

・「戦争」という行為には始まりがあり、決しての我々の祖先は好戦的ではなかった

戦争は人類の本質ではない https://society-zero.com/icard/862675
人類は狩猟者ではなく被食者だった https://society-zero.com/icard/761917
ヒトの横長な眼と大きな白目 https://society-zero.com/icard/914845

・模倣、共感、平等、権威の排除など

類人猿の模倣能力 https://society-zero.com/icard/194083
奉仕する心と家族 https://society-zero.com/icard/160223

・「第六章 文明の呪い」にあるような、定住・農業文明と遊動・狩猟採集文明との違い

分かち合いと所有 https://society-zero.com/icard/498071
暴力の拡大 https://society-zero.com/icard/589125
暴力を生み出す心 https://society-zero.com/icard/386945