本の知識の組織化と長尾構想

 

◎普及が進む電子図書館と長尾構想が目指した「理想の電子図書館」との異同あるいは「知識の構造化」について◎

「問題を解くためには、主題となっている事柄についていくらかの知識が必要であり、われわれはすでに持ってはいるが眠っている知識の中から関係のあるものを選び出し、集めておくことが必要である。」(『いかにして問題をとくか(G.ポリア ) 』)

長尾構想の問題意識、危機感
「知識の構造化」のふたつの場面
理想の電子図書館と「本の知識の組織化」

 

長尾構想の問題意識、危機感

「世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスし、利用できるようにする」というのがGoogleの理念。そこでGoogleは2004年から内外の大学図書館と提携し、所蔵書籍のデジタル化をスタートさせた。このGoogle Books Library Projectは、著作権者の承諾を事前に取るステップを踏まなかったため米国で集団訴訟へ発展。そして最初の和解案に基づいて行われた日本を含む世界各国への法定通知(2009 年2月)によって、日本の著作権者にも和解案の効力が及ぶことが明らかになり、2009年は「グーグルショック」が日本を襲った年として記憶されることになった。

グーグルショックの翌年長尾真氏は次のような文章を寄稿している。

「ディジタル化された本を集積することは電子図書館の第ーステージであって、これらの本を知識の構造に組織化する第2ステージが実現して初めて電子図書館として真価を発揮するのである。」(「理想の電子図書館に向けて、情報技術と知識の構造化の粋を集める(国立国会図書館長 長尾真)」 uVALUE VOL.17より)
※uVALUEは日立製作所情報事業部の情報誌。現在は刊行されていない。

この引用文を含む節のタイトルが「ディジタル化された本の知識の組織化」。

ここで「本の知識の組織化」は「知識の構造化」の文脈のなかで語られている。実は長尾構想は、長尾真氏が「グーグルショック」を日本語圏の危機ととらえ、その問題の本質を「知識の構造化」に見定め、そのひとつの「解」として提示したものだった。

たしかに、ビジネスとしての電子図書館は現在、大学図書館や公共図書館、さらに学校図書館で物珍しくないところまで普及してきている。しかし長尾構想発出の背景にあった危機感への「解」としての電子図書館は、未だ日本で実現に向かっていないことにもっと注意が向けられてしかるべきだろう。

米国のGoogle Books訴訟はその後、米国著作権法制上のフェアユース条項の存在を理由にGoole側の勝利に終わった。そのため英語圏ではGoogle検索をするとWeb記事と並んで本の中(20百万冊:2013年当時)からも、検索キーワードに対応した結果がスニペット表示される。

専門的な知識は「本」の形に組織化され、一般の人々の前にも提示される。生涯学習の時代の到来で、また社会が大きな変革の時代にさしかかったと感じられる昨今、専門知を求め本の中をググってみたいと思ったとき、英語圏の人々にはそのツールと可能性があるのに、日本語圏にそれがなくてよいのか。これが長尾構想の問題意識だったはずだ。

日本語の本に対する同様なサービスを日本語圏で一体誰が、どういう仕組みをベースに実現するのかという危機感が長尾構想にはあった。

出版の世界や図書館人の間で、その認識が進まないそのよこで、実は、義務教育課程の「知識の構造化」は、世紀をまたいだあたりから盛んに議論され、近年の「新しい学習指導要領」に具体化されている(2020年度の小学校より順次、中学校高等学校へ適用されていく。将来の大学入試にも反映されるだろう)。

 

「知識の構造化」のふたつの場面

文科省は学習プロセスや認知過程に関する研究成果を踏まえ、学習する側の「構造化」と学習内容を提供する側に必要な「構造化」視点とを使い分けている。

適切な知識をある目的(課題解決等)のために動員する、再構築する過程、知的行為こそが「知識の構造化」だといった趣旨のことが文科省のさまざまな文書に出てくる。学習するとは知識を構造化する知的過程のこと、ということになる。

まずこれが学習する側の「構造化」、の内容になる。長尾真氏にもつぎのような一節がある。

「文章を理解すると言う事は、書かれている内容を読者が自分の中に再構築することである。」
(『「わかる」とは何か(長尾真)』)

たとえば社会科の学習対象の多くは事実的知識(あるいは宣言的知識)だ。固有名詞的なものに代表される事実的知識を身に付けるだけでは、知識は断片のまま。断片を相互に結びつけ、知識を構造化し、より転移性の高い概念的知の形成へ向かうのが、「学習する」でなければならない。
・宣言的知識がつながり概念化される

知識の構造化 概念化(田村学先生待望の新刊-学習評価 https://www.toyokan.co.jp/pages/gakusyuhyoka

 

だが教師が生徒に理解させようとしている知識と、生徒の生活には距離がある。一般的には 「『理解する』ことのおもしろさ」や「関心・興味」がその距離を埋める。これらのものがない生徒に、いかに内的動機付けをしていくかが教師の側の課題で、「断片を相互に結びつけ、知識を構造化し、より転移性の高い概念的知の形成へ」誘導すべく、様々な工夫が必要になる。これを、文科省は授業カリキュラムの構造化、あるいは学習指導の構造化と呼ぶ。

たとえば「室町時代の社会」というテーマがあったとする。

A:説明文を書かせる

室町時代は激動の時代。経済の発展はめざましく、人々のものの見方の大きな転換点でもあった。ここで教師が語句を指定し、語句相互の関係がわかるように文章を作りなさい、という課題を生徒に与える。

指定語句例:二毛作の広まり、堆肥の使用、米以外の作物の栽培の始まり、市、特産物の生産、鍛冶・鋳物業の始まり、明銭の使用、馬借、土倉、座、門前町、町衆など

生徒はまずは因果関係を考え、それらの関係が分かるような説明文を書いていく。

B:討議

グループで説明文を発表し合い、最も優れた作品をグループ内で選ぶ。

C:発表会

グループの作品を発表し合い、それぞれの作品の優れている部分を指摘し合う。

AからCが「授業カリキュラムの構造化」になる。

ちなみに長尾真氏もつぎのように述べている。

「文章を理解するということは、書かれている内容を読者が自分のなかに再構築することである。これは、再構築したものを説明するといった形で外部に出すことによって、もっともよくおこなわれる。その過程で、理解できなかった部分が明らかになり、再度もとの文章を読みなおしたり、質問したりすることが必要になる。つまり、対話という過程が大切になるのである。」(『「わかる」とは何か(長尾真)』)

教室での学習における構造化から、本の知識の組織化、とりわけ長尾構想、電子図書館へ話をもどそう。英語圏ではGoogle検索をするとWeb記事と並んで本の中からも、検索キーワードに対応した結果がスニペット表示されるのだった。

 

理想の電子図書館と「本の知識の組織化」

文科省が学習する側の「構造化」と学習内容を提供する側に必要な「構造化」視点とを使い分けたように、本についても、読者が読書の過程で行う「知識の構造化」と、本の執筆者や制作側が引き受ける「構造化」とがある。後者を長尾氏は特に「本の知識の組織化」と読んだ。

本の著者が原稿を書く際、また版元がその原稿を編集するとき、「物事が一定の秩序をもち、有機的な働きをするように統一化すること」という組織化の操作が施される。これによりわかりやすい、読みやすい本ができあがる。

無論、理解できる、わかるためには読者側で次の3つのポイントがクリアされる必要はある。

1.文脈:その文章や説明がどういう場面での文(説明)であるか、誰が行為の主体であるかについて意識的であること。文脈は文の解釈に決定的な影響与えるからだ。
2.知識:(文脈の問題とは別に)知識の問題がある。文(説明)を解釈して理解しようとすれば、一定の知識が必要となる。
3.身体:さらに身体を通してはじめて理解できる、わかる、という場面もある。(「「ゴルフのスイングを柔らかく行う」という事は、言葉でいくら説明してもわからないのであって、体験してみて初めてわかるのである。同様に、学校教育において、生徒の実験がいかに大切であるかは言うまでもない。」)
(『「わかる」とは何か(長尾真)』を一部加工)

さてここまでは紙の本が前提。ところが情報誌uVALUEの「理想の電子図書館に向けて(国立国会図書館長 長尾真)」が扱ったのは「ディジタル化された本の知識の組織化」であった。

教室における「知識の構造化」で内的動機付けが教師の側の課題であったように、理想の電子図書館では利便性をともなう検索システムの進化が求められる。デジタル化された本ならそれができるはずだ。

情報誌uVALUEの寄稿文が書かれた当時すでにデジタル化が進んでいた書誌的データだけでなく、本の総体がデジタル化されているなら、次のようなことが可能になるのではないか。

・目次を利用した重み付け:
単純なデジタル化データ(本の総体)への検索では膨大な検索結果の表示に戸惑うだけかもしれないから。
・この本を読めば、関連するこのような本も読んではどうかという、本の内容分析から自動的に提案するシステム。
(iCardbookではこのような効能が指向されている)
・自動的に本に抄録を付けたり、新聞や雑誌にのった書評を探し出して付ける。
・本を図書館分類体系のどこに位置づけるか、主題コードとして何を付与するか、の自動化。

「他にも電子図書館システムの場合にやれること、やるべきおもしろい研究課題は山積しているが、誌面の都合上ここに述べることはできない。いずれにしても理想の電子図書館の実現という課題は情報技術や知識の構造化の研究にとっての宝庫でもある。」(「理想の電子図書館に向けて、情報技術と知識の構造化の粋を集める(国立国会図書館長 長尾真)」 uVALUE VOL.17より)
※uVALUEは日立製作所情報事業部の情報誌。現在は刊行されていない。


長尾構想が目指したことと人工知能とGoogle検索について
・日本語のハンデと人工知能とGoogleBooks訴訟 https://society-zero.com/chienotane/archives/3534

ネットから本の意味にたどり着く、情報整理の第四段階
・Google Book訴訟とフェアユース https://society-zero.com/chienotane/archives/3155

和書電子書籍の過半はPDFであり、EPUBは少数派
・大学図書館の電子書籍の状況(2020年度) https://society-zero.com/chienotane/archives/9313

ebookは専門書の最終形態ではない点について
・専門書の未来 https://society-zero.com/chienotane/archives/9014


・2015長尾先生 電子図書館 https://www.slideshare.net/JEPAslide/20150303-drnagao-45401397


■関連URL

●新しい学習指導要領等が目指す姿 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364316.htm

●資質・能力の関連からの教育課程の構造化と理科教育 文部科学省 http://www-utap.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~suto/myresearch/20160604-goda.pdf

●田村 学 深い学びを語る。 - 教育インタビュー | 学びの場.com https://www.manabinoba.com/interview/017708.html
・「育成すべき資質・能力の3つの柱」と知識の構造化