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ヴォートランのお説教|ピケティ用語集

ヴォートラン

19世紀フランスの文豪オノレ・ド・バルザックの代表作『ゴリオ爺さん』に登場する悪党がヴォートラン。

舞台は1810年代のパリ。ゴリオ爺さんは苦労人で、革命時代とナポレオン時代にパスタと穀物の事業に汗を流し、いったん財をなしたものの、その財を二人の娘のためにつぎ込んでしまい(パリの最高上級社交界に娘を送り込み、婿探しをした)、いまは貧しい下宿屋の主人。その下宿屋には上流社会入りに憧れ、地方からやてきた苦学生、法学を勉強しているウージェーヌ・ド・ラスティニャックと、お尋ね者で「トロンプ・ラ・モール」(死のいかさま師)と呼ばれる悪党の親玉、ヴォートランがいた。

お説教

岩波文庫『ゴリオ爺さん』上巻で、195~216頁にわたり叙述されるのが 「ヴォートランのお説教」。『21世紀の資本』で使われた節のタイトルでは「お説教」となっているのだが、「お説教」というより、悪行への誘惑に使われる当時のフランス社会の実態(ピケティ流にいえば「格差の構造」)についての認識の開陳だ。法学生のラスティニャックに対しヴォートランは、「金持ちになって それなりの暮らしをしたいなら、勉強して弁護士になっても無駄。良い暮らしを望むなら金持ちの女を見つけて結婚することだ」と教える。

たとえばこんな具合。

三十になってもまだ法服を脱ぎすてていなかったら、年俸千二百フランの判事ってところかな。四十に手がとどくところになれば、製粉業者の娘あたりと結婚できるだろう。しかも年収六千フランの持参金つきでね。ありがいことさね。後盾があれば、三十にして年俸三千フランの初審裁判所検事だ。そして町長の娘と結婚できるのさ。

政治上の卑劣行為をやってのけるなら、四十歳で検事長になり、そうしてあとあと代議士くらいにはなれるだろう。

ご参考までに申しあげると、フランスに検事長は二十人しかいないのに、検事長になりたがっている男は二万人もいる。この二万人のなかには一階級昇るためなら、家族のものだって売りかねない手合いだっているんだぜ。

さてこの商売がきにくわないとなりゃあ、ひとつほかの商売を考えてみようか。ラスティニャック男爵どのは、弁護士になる気がおありかな? けつこうなご商売でさあね。十年間はまず粒粒辛苦を重ねなければならんな。毎月千フランも金を使い、図書室やら事務室を設け、社交界に顔をだし、事件をよこしてもらうために代訴人の法服に接吻し、裁判所の床を舌で舐めまわるくらいのことはしなけりゃならんぜ。もしこの商売で君が成功するものなら、わしはなにも言わん。しかし五十歳にして年収五万フランを超える弁護士が、いったいパリに五人でもいるのかね。

要するにヴォートランはラスティニャックに対し、勉強、才能、努力で社会的成功を達成できると考えるのは幻想に過ぎないと説く。(略)たとえかれが首席で卒業して法曹界での輝かしいキャリアを築いたとしても、それ自体が多くの妥協を必要とするし、それですらそこそこの年収でやりくりし、本当の金持ちになる希望を捨てなければならない。

(『21世紀の資本』 P249)

そこでもっとこうしたら、と提案する。

下宿屋に住む若い内気な女性(略)、ヴィクトリーヌ嬢と結婚すれば、ラスティニャックは100万フランの富を手中に収められる(略)。この結婚で(略)王族検察官として何年も働いてやっと得られる生活水準の10倍(そして当時パリで最も成功した弁護士が何年にもわたる努力と悪行の末、50歳になってやっと得られる所得と同額)をあっという間に達成できるだろう。

(『21世紀の資本』 P250)

しかしこれにはひとつだけ条件がある。

非摘出子であるヴィクトリーヌが裕福な父から認知されて、100万フランの遺産相続人になるためには、まず彼女の兄を殺さなければならないというのだ。前科者であるヴォートランは、金さえもらえばいつでもこの仕事を引き受けるという。

(しかし)これはとてもラスティニャックにはできないことだった。勤勉より遺産のほうがずっと価値があるとするヴォートランの主張(「ヴォートランのお説教」ー筆者註)は腑に落ちたが、殺人を犯すほどの覚悟はなかったのだ。

(『21世紀の資本』 P250)

ピケティは『21世紀の資本』で、要はこのこと、つまり勤勉な努力から得られる所得と、相続から得られる資産とのバランスが、時代によってどう変化してきたか、そしてその変化を「格差の構造」の分析を通して明らかにしている。

 


確かに、労働所得は常に平等に分配されるわけではないし、相続財産からの所得と労働所得の重要性比較だけで社会正義を論じるのも公正さを欠く。それでも民主主義的な近代性というものは、ここの才能や努力に基づいた格差のほうが、その他の格差より正当化できるという信念に基づいているのだ-少なくともその方向に一時は進んでいると願いたい。そして実際に問題として、 ヴォートランの入れ知恵は20世紀のヨーロッパでは、少なくとも一時は多少なりとも実効性を失っていた。

(『21世紀の資本』 P251)


◆関連書籍


◎ピケティ用語集・一覧 http://society-zero.com/chienotane/archives/3385
◎データ集 トマ・ピケティ『21 世紀の資本』 http://society-zero.com/chienotane/archives/3427


◇関連クリップ

●日本の格差拡大は先進各国と比べてひどいのか?
http://blogos.com/article/85804/
戦争にも効能があった。特権階級の独占的な富の多くが霧散したから。「戦争は格差是正の最も大きな要因だったと評価でき」る。「最近、ブームになっているトマ・ピケティによれば格差社会の進行は、個人の努力や才能が正当に評価されない社会の到来を意味し、それは民主主義のプロセスを弱体化する」、と。
●「アナと雪の女王」にみる社会の姿-「ありのまま」生きる “Let It Be” と “Let It Go” | 詩想舎の情報note  所収)

●書評:Capital in the Twenty-First Century - 日本証券経済研究所
http://www.jsri.or.jp/publish/research/pdf/88/88_07.pdf