ピグーの私的純限界生産物と社会的純限界生産物の乖離

マーシャルの後継者にあたるピグーは、『厚生経済学』において、私的純限界生産物と社会的純限界生産物という二つの概念を導入した。たとえば、ある企業が設備投資を行った場合に増加する生産物全体が社会的純限界生産物であり、そのうちその企業に帰属する部分が私的純限界生産物である。※I):ピグーは、「ある一定の用途もしくは場所における資源の限界的増加分に基づく物的な財貨あるいは客観的なサービス等の純生産物全体のうち、そこに資源を投じたことに責任を有する人に帰属する部分」を私的純限界生産物と呼び、「ある一定の用途もしくは場所における資源の限界的増加分によってもたらされる、物的な財貨または客観的なサービス等の純生産物全体」を社会的純限界生産物と呼んだ。(『厚生経済学』(東洋経済新報社、一九五四年)

そして、ピグーは、資源の投入の効果が、資源を投じた人以外に及ぶ場合に、私的純限界生産物と社会的純限界生産物が乖離すると論じた。

■参考文献
『厚生経済学』  アーサー・セシル・ピグー 原著一九二〇年

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I. :ピグーは、「ある一定の用途もしくは場所における資源の限界的増加分に基づく物的な財貨あるいは客観的なサービス等の純生産物全体のうち、そこに資源を投じたことに責任を有する人に帰属する部分」を私的純限界生産物と呼び、「ある一定の用途もしくは場所における資源の限界的増加分によってもたらされる、物的な財貨または客観的なサービス等の純生産物全体」を社会的純限界生産物と呼んだ。(『厚生経済学』(東洋経済新報社、一九五四年)