公教育の本質

しかし、どれだけすべての人が対等に「自由」であることが法によって保障されても、諸個人が実際に「自由」になるための〝力〟を持っていなければ、法の存在も有名無実にすぎない。

ここに、公教育が登場する必要性と必然性がある。つまり公教育は、法によって理念的に保障された「自由の相互承認」を、現実に実質化するものという本質を持っているのだ。


■参考文献
『学校と社会・子どもとカリキュラム』  ジョン・デューイ 原著一八九九年

『どのような教育が「よい」教育か』 第三章・第四節 「よい」教育とは  苫野 一徳 二〇一一年

「これからの教育メディアの本質的意義と役割──教育哲学の視点から」  苫野 一徳 [編集部]

★この記事はiCardbook、『自由の相互承認—— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——(下)未来構築の実践理論』を構成している「知識カード」の一枚です。

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