「奴隷化」の道

「生きたいように生きていい」。この言葉が、時にわたしたちを「無規定性の苦しみ」の中に投げ入れる。※I):かつて人は、生活上の意思決定、人生の選択において社会からの制約があり、規定を受けていた。しかし今は違う。生まれ育った狭い共同体に縛られ続けなければなららないわけでも、決められた職業に一生従事しなければならないわけでもない。規定がない、自由な社会に私たちはいる。「生きたいように生きていい」のだ。これを「無規定性の自由」と呼ぶ。

それゆえわたしたちは、しばしば自らを「奴隷化」の道へと望んで向かわせる。


■参考文献
『自由からの逃走』  エーリッヒ・フロム 原著一九四一年※

註※:ナチズム台頭の遠因を社会、経済的側面からだけではなく社会心理学的側面から分析する必要を論じて注目された書。近代社会は前近代的な社会の絆から個人を解放した。しかしその一方で、個人の知的、感情的、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、いまだ実現できていない。近代化はかえって近代人に不安をつくり上げた、とする。[編集部註]

★この記事はiCardbook、『<自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ ——: (上)現状変革の哲学原理 』を構成している「知識カード」の一枚です。

自由の相互承認
自由の相互承認

アイカードブック(iCardbook)

 

 

   [ + ]

I. :かつて人は、生活上の意思決定、人生の選択において社会からの制約があり、規定を受けていた。しかし今は違う。生まれ育った狭い共同体に縛られ続けなければなららないわけでも、決められた職業に一生従事しなければならないわけでもない。規定がない、自由な社会に私たちはいる。「生きたいように生きていい」のだ。これを「無規定性の自由」と呼ぶ。