「新たな大義」の道

「自由であることの苦しみ」は、「自由」に代わる「新たな大義」の思想も生み出している。

たとえば、現代倫理思想に大きな影響を与えたフランスの思想家エマニュエル・レヴィナスは、〈私〉の「自由」の上に〈他者〉を置く。※I):「自由は、自由によってみずからを正当化することはない。〔中略〕その反対に、アレルギーをいだくことなく他者と出会うこと、言い換えれば正義において出会うことなのである。〔中略〕自由の道徳的な正当化とは自由に対して無限な要求をつきつけ、自由に対して徹底的な不寛容をもって臨むということだ。自由が正当化されるのは、確実性の意識によってではない。自己に対する無限な要求において、やましくない良心のすべてを踏み越えることにおいて、自由は正当化されるのである。」(『全体性と無限』 第四部「結論」第十一節 任命された自由 (岩波文庫、二〇〇五年・二〇〇六年))

■参考文献
『全体性と無限―外部性についての試論』
  エマニュエル・レヴィナス 原著一九六一年
『存在の彼方へ』  エマニュエル・レヴィナス 原著一九九〇年
『レヴィナス入門』  熊野 純彦 一九九五年


★この記事はiCardbook、『自由の相互承認 —— 人間社会を「希望」に紡ぐ —— (上)現状変革の哲学原理』を構成している「知識カード」の一枚です。

自由の相互承認
自由の相互承認
 

 

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I. :「自由は、自由によってみずからを正当化することはない。〔中略〕その反対に、アレルギーをいだくことなく他者と出会うこと、言い換えれば正義において出会うことなのである。〔中略〕自由の道徳的な正当化とは自由に対して無限な要求をつきつけ、自由に対して徹底的な不寛容をもって臨むということだ。自由が正当化されるのは、確実性の意識によってではない。自己に対する無限な要求において、やましくない良心のすべてを踏み越えることにおいて、自由は正当化されるのである。」(『全体性と無限』 第四部「結論」第十一節 任命された自由 (岩波文庫、二〇〇五年・二〇〇六年))