デカルト的世界観

「人工知能」を「考える存在」であると捉えるのは、デカルト的な発想I):デカルトは懐疑可能なものを順番に捨てていき、最後に「自分が本当は存在しないのではないか?」と疑います。しかし、その当の疑っている自分自身の存在は否定できない、として。「我思う、ゆえに我あり」が導かれました。
デカルトはこの命題を自身の思考体系の出発点としました。デカルトの「方法序説」はその名の通り、彼の学問体系の序論となるべき書でしたが、ガリレイ裁判などの影響で後に続く科学体系の書籍を控えていたために、「方法序説」という独立した書となっています。
です。

人工知能が生まれたのは一九五十年代以降のことですが、その発展はほぼデカルト的世界観の中で進捗して来たと言えます。結果、思惟する存在という枠に人工知能を閉じ込めてしまいました。

しかし、現実で生きる生物はそんなことはありません。生活世界を人工知能に取り戻すためには、デカルト的世界観から抜け出す必要があるのです。


■参考文献
方法序説』  ルネ・デカルト 原著一六三七年
人工知能のための哲学塾』  第一夜 フッサールの現象学  三宅 陽一郎 二〇一六年
「ゲーム、人工知能、環世界 考える存在から経験の総体へ、AIのための現象学的転回」 三宅 陽一郎 『現代思想』 2015年12月号 特集=人工知能 青土社 二〇一五年

人工知能のための哲学塾 第一夜「フッサールの現象学」 資料

★この記事はiCardbook、『<人工知能>と<人工知性>』を構成している「知識カード」の一枚です。

人工知能と人工知性
人工知能と人工知性
 

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I. :デカルトは懐疑可能なものを順番に捨てていき、最後に「自分が本当は存在しないのではないか?」と疑います。しかし、その当の疑っている自分自身の存在は否定できない、として。「我思う、ゆえに我あり」が導かれました。
デカルトはこの命題を自身の思考体系の出発点としました。デカルトの「方法序説」はその名の通り、彼の学問体系の序論となるべき書でしたが、ガリレイ裁判などの影響で後に続く科学体系の書籍を控えていたために、「方法序説」という独立した書となっています。