しかしわたしはあえていいたい。「自由」は、「動物化」や「正義」や「他者」といった概念によって解消されたり克服されたりしてしまうようなものではなく、むしろその反対に、これらの概念こそが「自由」の一条件なのである、と。
ルソーにならって次のようにいってみよう。※I):「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。〔中略〕どうしてこの変化が生じたのか?わたしは知らない。何がそれを正当なものとしうるか?わたしはこの問題は解きうると信じる。」(『社会契約論』 第一章 (岩波文庫、一九五四年))
人間は「自由」を獲得した。しかしなお、「自由」とは何か、「自由」に生きるとはどういうことか、わたしたちはその答えが十分には分からずにいる。それゆえこの問いを、もう一度解き直さねばならない。
■参考文献
『社会契約論』 ジャンジャック・ルソー 原著一七六二年
『人間不平等起源論』 ジャンジャック・ルソー 原著一七五五年
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註
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