言葉の意味の決定不可能性

ウィトゲンシュタイン以来、言葉の意味の決定不可能性とその用法の規定不可能性は、哲学の〝常識〟とされてきた。

『哲学探求』において、ウィトゲンシュタインは次のよく知られた大工の会話を描いている。

たとえば、一方が他方に「石板!」という。その「直示的教示」——言葉が直接に指す対象——は、物体としての「石板」それ自体だ。しかしこの「石板!」という言葉には、文脈に応じて無数の意味がある。それは、「ああ、そこに石板があったのか」という意味でもありうるし、「その石板を持ってきてくれ」や、「危ない、石板が落ちてくるぞ!」という意味であるかもしれないのだ。

■参考文献
『哲学探究』
 第一部  ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン※I):現代英米哲学の形成に指導的役割を果たした一人(一八八九年~一九五一年)。特に後の言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。一八八九年、ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれた。最初ベルリンとマンチェスターで工学を学んだが、一九一二年以降ケンブリッジで論理学、哲学を学んだ。第一次世界大戦中はオーストリア軍に志願。戦後、二〇~二八年小学校教師、庭師、建築家などを経て、二九年ケンブリッジに復帰、五一年オックスフォードで没した。 原著一九五三年※II):ウィトゲンシュタインの死後二年経ってから出版。二つの遺稿が『哲学探究』という一つの題のもとに刊行された。うち第一部(番号のつけられた六九三の断章)の大部分は、一九四六年には出版直前までこぎ着けていたが、ウィトゲンシュタイン自身によって差し止められていた。


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I. :現代英米哲学の形成に指導的役割を果たした一人(一八八九年~一九五一年)。特に後の言語哲学、分析哲学に強い影響を与えた。一八八九年、ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれた。最初ベルリンとマンチェスターで工学を学んだが、一九一二年以降ケンブリッジで論理学、哲学を学んだ。第一次世界大戦中はオーストリア軍に志願。戦後、二〇~二八年小学校教師、庭師、建築家などを経て、二九年ケンブリッジに復帰、五一年オックスフォードで没した。
II. :ウィトゲンシュタインの死後二年経ってから出版。二つの遺稿が『哲学探究』という一つの題のもとに刊行された。うち第一部(番号のつけられた六九三の断章)の大部分は、一九四六年には出版直前までこぎ着けていたが、ウィトゲンシュタイン自身によって差し止められていた。