一切は〝わたし〟の「確信」である

フッサールは、この「見えてしまっている」「思ってしまっている」という「確信」や「信憑しんぴょう」こそが、疑い得ない思考の始発点であると主張する。そしてそれを「超越論的主観性」と呼ぶ。

客観的真理などない。一切は〝わたし〟の「確信」なのである。※1

■参考文献
『権力への意志(下)』
※2  フリードリヒ・ニーチェ 原著一九〇一年
『現象学入門 (NHKブックス)』  竹田 青嗣 一九八九年


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