現象学は経験から出発します。そしてあらゆる経験を受け入れるのは身体と知能の全体です。
知能は、人間の物理的、情報的全体をもって世界と対峠するところから生まれます。人工知能もまた知能と身体の全体を持って世界を経験し、世界を受け止めることで知能を向上させていきます。I):「我々は身体によってこの世界に住み着いている存在である」(引用:『知覚の現象学』 ポンティ)
人工知能は超越論的主観性から出発して、あらゆる経験をなす人工知能でなければなりません。しかしこのとき、もはやそれは人工知能という名前にはふさわしくない、「人工知性」とも言うべきものになっていくことでしょう。
■参考文献
『知覚の現象学 I』 モーリス・メルロ=ポンティII):フランスの哲学者。後期フッサールの影響から出発し、知覚の主体である身体が主体・客体の両義性を持つことに着目、世界を人間の身体から柔軟に考察することを唱え、現象学的記述に新生面を切り開いた。[編集部] 原著一九四五年
『人工知能のための哲学塾』 第一夜 フッサールの現象学 三宅 陽一郎 二〇一六年
「ゲーム、人工知能、環世界 考える存在から経験の総体へ、AIのための現象学的転回」 三宅 陽一郎 『現代思想』 2015年12月号 特集=人工知能 青土社 二〇一五年
★この記事はiCardbook、『<人工知能>と<人工知性>』を構成している「知識カード」の一枚です。
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註
I. | 戻る | :「我々は身体によってこの世界に住み着いている存在である」(引用:『知覚の現象学』 ポンティ) |
II. | 戻る | :フランスの哲学者。後期フッサールの影響から出発し、知覚の主体である身体が主体・客体の両義性を持つことに着目、世界を人間の身体から柔軟に考察することを唱え、現象学的記述に新生面を切り開いた。[編集部] |