障害者差別解消法施行を前に出版社が考えること 【セミナー備忘録】

「個人用のメモです。議事録ではありません」といつも記述していますが、今回は特に、セミナーに刺激され連想したことと、セミナーの報告部分とは6:4くらいの分量になりそうです。
(記事中の図画で、引用元を表記していないものはプレゼン公開資料を使用しています)

■JEPAセミナー概要

2016年3月9日 障害者差別解消法施行を前に出版社が考えること http://www.jepa.or.jp/sem/20160309/

2016年4月1日に障害者差別解消法(※)が施行されます。

本セミナーでは、出版社が知らなければならない障害者差別解消法のエッセンスと対応についてわかりやすく解説してもらいました。また、講談社、小学館からはこれまでに取り組んできてこと、これからのことについてお話を伺いました。
※ 正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/sabekai_leaflet.html

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14:20~14:30 開催のご挨拶 ビジネス研究委員会 委員長 岡山将也(日立コンサルティング)
14:30~15:10 障害者差別解消法のエッセンスと電子書籍に関する技術の社会的意義
青木千帆子氏(静岡県立大学グローバル・スタディーズ研究センター客員共同研究員)
15:15~15:35 電子出版とアクセシビリティ
吉羽 治氏 (講談社 デジタル国際ビジネス局 局長)
15:40~16:00 「すべの人に読書権を」34年の歩み
大田亨彦氏 (小学館 社長室 ジェネラルマネージャ)
16:05~16:45 教育機関における出版物障害(print disabilities)への対応
近藤武夫氏 (東京大学 先端科学技術研究センター 准教授)
16:50~17:10 Word文書読み上げアドインの研究開発とデモ
柳 明生氏 (イースト 事業推進部)
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1.「朝から泣いた。」

日本電子出版協会(JEPA)ではfacebook「ページ」を運営している。「JEPAClip」という名称で、電子出版関連のニュースや、Web記事をピックアップしてはタイムラインに流している。閲覧数は記事により様々だが、あまりコメントが付くことはない。

ところが最近(2016年3月24日)、シェアされ、「朝から泣いた。」とコメントされることがあった。コメントの対象は朝日新聞のURL、佐賀県武雄市の女の子の話しで、記事タイトルは「奇跡の学びを手にした少女 タブレットで言葉も計算も」だった。

セミナー講師の青木先生や近藤先生のお話に触れる前に、この記事について簡単に触れておきたい。

 

2.「タブレットで学ばせてみよう」と決まった

佐賀県武雄市の市立西川登小学校の1年生の女の子の話。二人のお兄ちゃんがいる。生まれてすぐ四肢短縮症と診断され、1歳まで新生児集中治療室にいた。生後5カ月で気管切開。以来入学まで、ほとんど声を出したことがない。だから言葉はしゃべれない。

学齢期を前にして、両親は特別支援学校を何度か見学に行く。

「『勉強』という感じがあまりなかった。普通学校の多くの子の中で学んだ方が、この子の力を引き出せる」のではと母親は考えるようになっていた。そのとき二人のお兄ちゃんから「一緒に通いたい」、「学校、バリアフリーになったから行けるよ」という声が寄せられ、教育委員会に相談した。

佐賀県は教育のICT化に早くから取り組んできた県のひとつ。それを背景に、武雄市はソフトバンクグループ「エデュアス」と提携、障害児教育のICT(情報通信技術)活用に力を入れていた。

タブレット管理業者「エデュアス」の佐藤里美さんが、(その女の子)に自分のiPadを渡してみた。すると、子どもっぽいマークのアプリを次々選んで開き、遊べるものを探し始めた。教育委員会の人もその姿を見て、「タブレットで学ばせてみよう」と決まった。
(奇跡の学びを手にした少女 タブレットで言葉も計算も http://www.asahi.com/articles/ASJ3P41B0J3PUTIL008.html

あれから1年。

「この1年で、本当に驚くほど変わりました。通常学級の1年生と比べても、学習面はほとんど劣りません。奇跡のようです」と、担任の畑瀬真理子先生。原口常博校長も「できないだろうという先入観から始まっているので、この成長に教職員みんなが驚いています」。
(奇跡の学びを手にした少女 タブレットで言葉も計算も http://www.asahi.com/articles/ASJ3P41B0J3PUTIL008.html

タブレットのアプリのおかげで廊下で会った先生にも「サヨウナラ」と音声であいさつするように。授業は毎時間「コクゴノ ジカンヲ ハジメマス」などと入力してスタート。カタカナも漢字も、次々と覚えた。「文章を読み上げるアプリもある。教科書の文を「朗読」し、句読点なども覚えた。いまでは紙のプリントと太い鉛筆も併用し、漢字の練習や読解問題も解く。

体育、図工、音楽、生活科などは1年生の通常学級で受けている。

すると周囲の目が変わってきた。いろんな学年の子どもが遊びに来るようになった。廊下に出れば、だれかがさっと「立位台」を押してくれる。

「『(この娘)はずっと誰かに守られる狭い社会で生きていく』と思い込んでしまっていた」母親はいま、言葉が発しやすくなるよう、早めに手術を受けることを計画していて、2年生からは話す学習もタブレットで始まる。
(「朝から泣いた。」、わかりますよね)

さてこの話を下敷きに、セミナー講師の青木先生や近藤先生のお話について連想したことをメモしてみよう。

ポイントは「メタ」。ひとつ上の視点から物事を眺めると、違う風景が見えてくる。違う風景に出会うことで人は、それまでとは異なる価値観、世界観に気づくことができる。

 

3.「読む」のメタ

2016年4月1日に障害者差別解消法が施行されるというので、昨年から出版業界においても、「合理的配慮」や電子書籍の読み上げの可能性、TTS、障害概念の社会モデルへの移行、と言ったことについてはおおむね流布した状況になっている。

社会的障害理論

「障害」に関するコペルニクス的転換が80年代から90年代に起こった。つまり、「障害は個人の中にある」とする個人モデルから、「機能障害のある人の参加を、社会環境側が前提としていないことから生じる参加の制限」とする社会モデルに移行した。

障害とは
・「障害とは、物理的そして社会的な障壁によって、他の人たちと同じように、地域での普通の生活を送る機会が失われたり、制限されたりすること(Disabled Peoples' International、 1982)」
・「個人の心身状態と環境との相互作用による活動や参加の制限(WHOによるICF、 2001)」
・「機能障害を有する者とこれらの者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、これらの者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずること(国連障害者権利条約、2006)」
・「障害とは人間誰もが取り得る自然な状態のひとつ(Burgstahler、2013)」

この「障害」概念の転換は社会観の変更をも促した。

「思いやり/斉一性に基づいた社会」から「多様性/コンフリクトを認める社会」へ。

この結果、障害は社会にあるとする「社会的障害理論」が条約や各国の法制化に拍車をかけた(2000年代)。

その転換を前提に、社会にある障害を取り除くよう要求する「権利」があること、そしてその権利行使に対し、「合理的配慮」という、どこまでの範囲で権利行使に応答すべきかの理念的線引きの概念が生まれた。

ただ出版業界では「合理的配慮と電子図書館」に焦点が絞られ、これまで議論されてきたように感じられる。本の「読み上げ」が可能なリフロー型電子書籍の点数が少ない(出版社側が怠慢、あるいは障害者差別解消法が民間企業には「努力目標」だということに甘んじすぎ)という点と、しかしリフロー型電子書籍へのニーズは本当にあるのか(フィックス型電子書籍のコミックへのニーズは確認されたが、「非コミックはあまり売れないしね」)という点をめぐってのせめぎ合いだ。だから機関向け、B2Bが主たる対象だった。

(たとえば、「「合理的配慮」と電子書籍サービス」 http://society-zero.com/chienotane/archives/2369

個人向け電子書籍販売サイトと「合理的配慮」

これに対し、青木先生は「読む」をもっとメタに考えてみてほしい、と訴える。B2C市場、要は個人の読者が電子書籍を購入し、読むプロアセス全体の環境整備について語った。

・(「合理的配慮」の対象領域は広いが)「読み上げ」機能にしぼっていうと、現状、電子書籍のコンテンツフォーマットはEPUBを使う限りにおいて問題はない。そして現在市場に出回っているリフロー型電子書籍の9割はEPUBで作られている。
・各種端末を調べたが、ここにも問題はなかった。

・問題は、「ビューアー」。

ここで「読む」をメタにとらえることの重要性に気づかされる。

つまり「読む」が、視覚になんらかの障害がある人へ拓かれていくには、電子書籍がTTS対応のEPUBで作られているだけでは足りない。

買えなくてはいけない、音声で。

買った本の中から今読みたい本を選べなくてはいけない、これも音声で。

その後に、表示されている順序で読むことができる「音声読み上げ」が登場するのだ。そして欲を言えば、指定した箇所から読む、これも音声で指示したい。

「音声購入」=音声読み上げ機能を用いて、ストアに行き本を購入することができる
「音声書棚」=音声読み上げ機能を用いて、書棚を開き、書籍を選択できる
「音声読み順」=音声読み上げ機能を用いて、表示されている順序で読むことができる
「音声位置指定」=指定した箇所から、音声読み上げ機能を用いて読み進めることができる

和製サイトで「ビューアーに「読み上げ」機能があります」とうたうサイトがある。しかし実はその奥は深く、「音声購入」「音声書棚」「音声読み順」や「音声位置指定」までできる「ビューアー」は、現状KindleとPlayのみ。和製ストアが開発したビューアーは非力。なぜ外資系の企業にできることを日本の企業は開発できないのか。奮起をお願いしたい、とは青木先生の弁。

要は和製サイトを構築した人の頭の中に「読む」をメタでとらえている人がいなかった、ということだろう。

 

4.「知へのアクセス」のメタ

もう一度繰り返すと、いま出版業界では

非コミック系の電子書籍について、「読み上げ」が可能なリフロー型電子書籍の点数が少ない(出版社側が怠慢、あるいは障害者差別解消法が民間企業には「努力目標」だということに甘んじすぎ)という点と、しかしリフロー型電子書籍へのニーズは本当にあるのか(フィックス型電子書籍のコミックへのニーズは確認されたが、「非コミックはあまり売れないしね」)という点をめぐってのせめぎ合い

の議論が続いている。

そこへ、「印刷物障害」という概念を持ち込むのが東京大学 先端科学技術研究センター 准教授の近藤武夫氏だ。

もともとは心理学のバックグラウンドを持つ先生だが、障害者支援に大変熱心に取り組まれていて、現在は高等教育の障害者支援の協議会を作る中心人物。とりわけワシントン大学でやっている DO-IT プログラムを日本で初めて実践するため、東京大学の先端科学技術研究センターに 2007 年から DO-IT Japanを立ち上げ、最近はそれを小学生、中学生、高校生にまで広げ活動していることで知られている。
DO-IT Japan http://doit-japan.org/2016/
(『18歳のビッグバン―見えない障害を抱えて生きるということ』の著者小林春彦氏はその第一期生

「印刷物障害」は、さきほどの「読む」のメタ、さらにそのうえのメタ、「知へのアクセス」のメタの重要性に気づかされる概念だ。

本へのアクセス可能性が、教育・学習、さらには就労上きわめて重要な事柄であることを指し示すのが「印刷物障害」。「知へのアクセス」のメタ、という風に言い換えてもいいかもしれない。なぜそう言えるか、近藤先生のお話の先を追いかけていこう。

「できない」は「能力がない」?

「できない」を因数分解せよ、と近藤先生は言う。

眼鏡をしている生徒に対し、授業中は眼鏡をはずしなさいと先生が言う場面を想定してみよう。眼鏡に頼らず、自分の力で黒板の字が見えるよう訓練しなさい。それが勉強というものだ、と。いやもっとSF的に、政府が眼鏡製造禁止令を出す。

そして生徒が「先生、板書の問題が見えないので、この問題を解くことができません」と言ったとき、先生が、「そうか、「できないか」。じゃあ、この生徒は数学の能力が低いんだな」と判断する。
そのようなことはいかにも理不尽だ。視力の弱い人に、眼鏡を使わないですますような鍛錬、訓練をさせるより、さっさと眼鏡をかけさせ、学習に邁進させる方がいいに決まっている。政府も眼鏡を製造することを奨励すべきだ。それで学習の障害を除くことができるのだから。

眼鏡無しで板書された問題が見えず、問題を解くことができないからといって、その子に能力がないわけでは決してない

以上の、板書と眼鏡の関係、学習上の障害と障害を克服する道具に関する理屈を理解する人が、なぜ、印刷された文字を読むことに困難を持つ人に対してだけ、道具を使わせず鍛錬、訓練を強要するのだろう。使える道具があれば、さっさと道具を使わせ、学習に邁進させる方がいいに決まっているのに。

ところが冒頭の「朝から泣いた。」の佐賀県武雄市の市立西川登小学校の1年生の女の子のような事例、つまり教育委員会が一人の子供のためにだけ「タブレット」を使わせることに同意する事例はまだまだ例外的な事象なのだ。

これまでの常識的な対応は特別支援学校へ送り込むこと、であった。それを一人の子供のためにだけ「タブレット」を使わせることに同意した。これこそが、

「思いやり/斉一性に基づいた社会」から「多様性/コンフリクトを認める社会」へ、

が具体化された瞬間だ。

印刷物障害

英語で、Print Disability 。例えば視覚障害者、目が見えないので紙の印刷物は読むことができない。それだけではない、肢体不自由があって、両手を使うことができなかったら、ページがめくれないし、持ち運びができないので、紙の印刷物の中身にアクセスすることが難しい。これも印刷物障害。そしてLD( Learning Diability 学習障害)の人。こちらはページめくりはできる。文字を見て、意味がわからないわけではない。ところが文字を認識してそれを音として捉えて、中身が分かりにくいという人たちがいるのだ。

学習障害者は知的な発達に遅れはなく、読む・書くなどの1つまたは複数の分野の理解・能力取得に困難が生じている人。つまり特定の能力にのみ障害があり、他の能力は正常なのだ。むしろ、障害のある特定の能力以外で、高い知能を持っている場合もある。だから読めないからと言って「能力」がないわけではない。そういう人が、実は教室の中に、さらには会社の中に、社会の中に相当数いるとみられている。
(・主な発達障害の定義について:文部科学省 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008/001.htm
・下図は2002年の調査(武田先生から2012年の数値の紹介があったがほぼ同じレベル)

LD
学習面で著しい困難を示す 4.5%
ADHD
「不注意」の問題を著しく示す 2.7%
「多動性-衝動性」の問題を著しく示す 1.4%
自閉症スぺクトラム
「対人関係やこだわり等」の問題を著しく示す 1.1%
(出典:通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果 平成24年12月5日 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/__icsFiles/afieldfile/2012/12/10/1328729_01.pdf

(出典:「発達障害のある子どもたちの学びに関わる問題」 フォーラム お茶の水女子大学 榊原洋一教授編【前編】 http://berd.benesse.jp/special/co-bo/co-bo_theme3-1.php

社会の中に相当数いる彼ら彼女ら、あるいはその親から、(佐賀県武雄市の例のように))「普通学校の多くの子の中で学んだ方が、この子の力を引き出せる」のではと要請があった場合(朝日新聞の記事は2015年だったから仮に応じなかったとしても咎められないが、2016年4月以降は)、「合理的配慮」が義務付けられる。つまりその対応は「差別」になっていないかの判定が行われる。差別にも直接と間接の2パターンがあるからだ。

障害のある人への差別とは「障害により平等な機会(equal opportunity)を得られないこと」。

直接差別:障害があることを理由に排除する
例「学生に障害があることがわかった場合に、(障害学生を支援する体制がない、など言及される理由は様々であれ)障害を理由に入学を拒否する」
間接差別:障害があると参加が難しい要件を設ける
例「紙に印刷された文字の認識に障害のある学生が音声での受験を求めても、紙とペンの試験しか用意されない」
この場合、「合理的配慮の否定」となり差別に該当する。

紙と鉛筆を使っての授業。その、「多数派の人と同じやり方が当たり前」としている発想そのものを変えなさい、というのが、2016年4月1日施行の「障害者差別解消法」の基本精神だ。障害のために何かができない、機能的制限があるという学生がやってきたら、その制限があっても、クラスに参加することが本当にできないかどうか。本質的な能力がないのかを、かなり柔軟に考えて行く必要があるのが、「障害者差別解消法」施行後の世界だ。

 

4.LIFE=生命(身体)、生活、人生

ここまでくると改めて、英語のLIFEが生命(身体)、生活、人生、といった複合的な意味を包摂する単語だったことを想起する。

教室という教育現場だけが「合理的配慮」の対象ではないのだ。入試の場面でも「合理的配慮」なしで、能力ある、しかし多数派の人と同じやり方(紙と鉛筆)で受験できない人に対して他の方法(代読あるいはPCを持ち込み、読み上げ機能付与のデジタル化入試問題で問題を解く)があるなら、その実現性を「合理的配慮」の観点で検討しなくてはいけない。

印刷物障害とそれへの対処が当たり前にならなかった時代には、高校受験や大学受験をあきらめる人がほとんどだった。能力の有無(の判定)とは一切無関係に。

これからは高校受験や大学受験が可能になる。印刷物障害を抱える人にとって自分の生活、ひいては人生そのものの色模様が、「合理的配慮」があるかないかで百八十度変わることは容易に想像がつく。

身体の問題を社会の問題、技術活用の問題として解決することを通じて、その人の日々の生活や人生を百八十度変える作業を10年近く続けてきたのが、近藤先生のDO-IT Japan活動だった。

事例をあげよう。

発達性の書字障害があり、鉛筆で字を書くことがとても困難だった生徒が、進学校である神奈川県立弥栄高等学校に、教科試験でキーボードを使って受験することが認められて合格した。また大学入試センターに音声での受験を求める交渉を行った読字障害のある生徒が、「代読」での受験を認められるケースが生まれた。そしてとうとう書字の障害がある『DO-IT Japan』の生徒が、東京大学に合格する事例も生まれている。これまで前例がなくワープロでの入試は認められなかったものの、書字の困難が認められ時間延長の配慮が提供された、その成果だった。

入社試験や、職場環境でも同じことだ。

DO-IT Japanの生徒で、民間企業に就職を決めた人たちが出てき始めている。教育環境だけでなく、障害のある多くの人々の就労環境でも、「合理的配慮」は必要だ。

民間企業の合理的配慮は、障害者差別解消法では「努力義務」とされている。しかし同じく障害者権利条約によって進められた「改正障害者雇用促進法」(2016年4月施行)では、雇用者に対する差別の禁止と合理的配慮の提供を講ずるよう義務づけられている。近藤先生と富士通ラーニングメディアでは、こうした制度の理解を進めるオンライン教育プログラムも開発している。

「読む」のメタ、「知へのアクセス」のメタを、「出版」という営為の中に取り込む時代が、やってきていると言えよう。

 

 


◇関連URL
●障害者差別解消法のエッセンスと電子書籍に関する技術の社会的意義 http://www.slideshare.net/JEPAslide/ss-59606612

●「2015年電子書籍フォーマットのアクセシビリティ対応状況に関する実態調査」 http://www.arsvi.com/2010/1602ac2.htm

●障害のある人への合理的配慮 http://bit.ly/1PPDXlL

●通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果 平成24年12月5日 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/__icsFiles/afieldfile/2012/12/10/1328729_01.pdf

●「発達障害のある子どもたちの学びに関わる問題」 フォーラム お茶の水女子大学 榊原洋一教授編【前編】 http://berd.benesse.jp/special/co-bo/co-bo_theme3-1.php

●日本の高等教育の障害学生支援の現状とこれからの課題~ICT 利用の観点から~
http://www.ouj.ac.jp/eng/sympo/2015/report/pdf/speech_6_2015j.pdf

●視覚障害などの理由で印刷物を読むことに困難のある方を対象としたインターネット利用に関するアンケート調査結果 http://www.ndl.go.jp/jp/service/support/questionnaire/result.html