オープンアクセスのパラドックス 【セミナー備忘録】(2)

(2)デジタル化はオープン化の入り口(のハズだった?)

品質決定と価格決定の分離

現在の学術コミュニティを支える学術専門雑誌のルーツとされるものは、17世紀に始まったとされている。紙に刷り、物流を最適化することで、情報と知識の流通の最大化、知のエコシステム構築を図ってきた。

そもそも学問は先人の業績の上に、新発見、新知見を加えることで進んできた。ならばできるだけ多くの先人の業績にアクセスできることが、新発見、新知見の付加をより強化し、より加速させるだろう。

一方それらの研究の成果はひとつは論文という形で、もうひとつは書籍という形でパッケージ化されてはじめて流通のための条件を備えることになる。論文も書籍も配布のために紙を素材とするコンテナに載せる必要がある。つまり情報や知識へのアクセスにはまず、コンテナ制作のコストとコンテナ流通の仕組みとそのコストが支払われ、構築されることが条件となる。このうち論文は学術専門雑誌、それも定期購読雑誌(ジャーナル)という形で、上述知へのアクセス確保のためのエコシステムを、18世紀から19世紀にかけ構築し終えた。

そのエコシステムの中核に位置するのは商業出版社。商業出版社は営利事業者であり、そうであるからには知のエコシステムを維持するための、リスクとコストを背負うことでそのエコシステムの構造決定権を実体的に握っている。つまり雑誌の価格はコンテナ制作のコストとコンテナ流通のためのコストをベースに決められることになる。

一方その内容あるいは品質は、査読を担当する学会、学術コミュニティが担保する必要がある。ただしその査読コストは、査読にあたる学会等に出版社が支払いを行う。つまり知のエコシステムの資金、ファンド面の手配はすべて商業出版社が面倒を見ている。

また学術専門雑誌(ジャーナル)は読者が執筆者であり執筆者が読者、の循環の中にあるが、そのエコシステムを支える雑誌の購読対価は、大学図書館が支払う仕組みだ。
・学術出版のサイクル
(●電子ジャーナルの価格高騰とオープン化が大学図書館に与える影響 http://www.nira.or.jp/pdf/1502report_04.pdf
学術出版のサイクル

世紀をまたぐ時期からここに、デジタル化の波が押し寄せる。電子ジャーナルだ。一方デジタル化の象徴であるWeb世界は「オープン」の思想を基盤にしてもいた。

ジャーナル・デジタル化の本質

先人の業績の上に、新発見、新知見を加えることで進んできた学問にとって、検索が容易になるデジタル化は福音。が、ことはそう簡単にポジティブな面だけを現してくれなかった。購読モデルを盾に、商業出版社側が、年々データが蓄積していきサーバ費用や通信の費用が嵩むことを理由に、電子ジャーナルの年間購読料を上げてきたのだ。
・例:エルゼビア社「ScienceDirect」契約額の推移(単位千円)
(●学術情報の電子化は何をもたらしたか http://user.keio.ac.jp/~ueda/papers/a2015.pdf
エルゼビア社「ScienceDirect」契約額の推移

紙の雑誌は買い切りで、買った以上その保有に追加コストは発生しない。所有権は図書館側にある。つまり購読をやめてもバックナンバーは手元に残る。しかしデジタル化、ジャーナルが電子化されデータとなった瞬間、事態は一変する。図書館の支払いの対価として得られるものは、データ閲覧権のみ。データは出版社が所有している。だから過去のバックナンバーまで閲覧するには購読料を支払い続けなければならない。

出版社はプラットフォーマーであり、ジャーナル閲覧サービス(検索等そのた利便性供与も含む)業者。図書館はサービス享受者。大学図書館が知識資源の所有者の地位から滑り落ちたのが、ジャーナルの電子化という現象の本質だった。そしていまやその構造的変革はゆるぎないものとして定着している。
・紙(Print+sub)主体の学術専門雑誌から、電子ジャーナル(Online+sub)主体へ

電子ジャーナルの値段は毎年上がり続ける(洋雑誌の比重が大きい非英語圏の日本では為替の変化がこの影響にさらに混乱を与える)。しかし大学図書館の予算にはおのずと上限がある。このままでは従来通りに学術専門雑誌を大学図書館が購入し続けられない。そのためアカデミック世界と商業出版業界とが対立する場面が増えてきた。

しかし社会の情勢も、またWeb世界の進展も「オープン」の方向を向いている。そこに知のエコシステムを商業出版業界の手からアカデミック世界に取り戻そう、そういう考え方から「オープンアクセス」モデルが考案されるにいたった。