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社会国家|ピケティ用語集

医療や教育へのアクセスを平等に担保しつつ、社会保障サービスの提供を「公共の福祉」の具体化として実現する現代国家のありかた。

ピケティは現実主義者であって、国家の経済介入の規模の現状以上の拡大は難しいとする一方で、制度設計で社会が抱える課題に応えることを国家に要求する。具体的には経済システムとしてのグローバル資本主義は守るべきだとしつつ、社会を守るために「グローバルな資本課税」を提案している。

『21世紀の資本』では第四部がそれに該当するが、提案の前提として「国家」の変遷をデータを使って解明してみせる。その第十三章のタイトルは「21世紀の社会国家」であって、慎重に、「福祉国家」の語が避けられているのが印象的だ。

権利の論理と現実の折り合いをどうつけるかの、ピケティ流の対応哲学が垣間見られる。ここには、国民(国家と対になる概念)は単なる納税義務者、社会福祉サービス受給者なのではない、行為主体(社会学でいう「actor」)として福祉国家の再生と経済の民主化への参加主体であるべき、とする社会学分野での最近の潮流が背景にあると考えられる。


保険医療・教育への国家的支出と代替・移転支払いを足すと、社会支出は総額で国民所得の25~35%となる。これは20世紀の富裕国における政府歳入増加のほとんどをすべて占める。言い換えると、20世紀を通じた財政増大は、基本的には社会国家の構築を反映したものなのだ。

(『21世紀の資本』 p498)

 

現代の所得再配分は、金持ちから貧乏人への所得移転を行うのではない。(略)それはむしろ、おおむね万人にとって平等な公共サービスや代替所得、特に保健医療や教育、年金などの分野の支出をまかなうということなのだ。(略)現代の所得再配分は、権利の論理と、基本的と見なされたいくつかの財についてはアクセスの平等という原理に基づいて構築されている。

(『21世紀の資本』 p498)

 

課税はそれ自体としては良くも悪くもない。すべては徴税方法とその使途しだいだ。それでも、社会国家の規模をこれほど大幅に増やすのは、少なくとも当分の間は現実的でも望ましくもないと思われる立派な理由が二つある。
まず、(略)あらゆる富裕国で、国ごとのちがいや政権交代にもかかわらず税収が横ばいだという事実は、決して偶然ではないのだ(図13-1参照)。
さらに、(略)公共部門がいったんある規模を超えて成長すると、組織上の深刻な問題に直面するという事実は残る。

(『21世紀の資本』 p501)

したがって基本的人権や物質的な利得は、最も権利や機会の少ない人の利益にかなうかぎり、できるだけ万人に拡大すべきだということになる。米国の哲学者ジョン・ロールズが『正義論』で持ち出した「格差原理」も似たような意図を持つ。そしてインド人経済学者アマルティア・センお気に入りの「ケイパビリティ」アプローチもまた、基本的な論理の点ではそんなにちがうものではない。

(『21世紀の資本』 p499)


◆関連書籍


◎ピケティ用語集・一覧 http://society-zero.com/chienotane/archives/3385
◎データ集 トマ・ピケティ『21 世紀の資本』 http://society-zero.com/chienotane/archives/3427


 

◇関連クリップ

●ハンス・フェリクス・ミュラー「紛争介入の経済学」 — 経済学101  http://bit.ly/1yUBwqJ

●景気回復、包摂的な発展、社会正義の構築
http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---asia/---ro-bangkok/---ilo-tokyo/documents/publication/wcms_246566.pdf